vlog わたしにとっての「ラジオ」
昨日の夜、とあるコーナー2つが最終回を迎えた。
SCHOOL OF LOCK!のコーナーの
「サカナLOCKS!」と
「SCHOOL OF LOCK!教育委員会」である。
私はSOLの生徒なのにも関わらず、フィナーレの瞬間に立ち会うことができなかった。
原因はアルバイトである。
ああなんて虚しいんだ。ばかやろう。
今まで沢山聞いてきた番組の中で、遥かに終わりが寂しい2つが終わるのに何故だ。
と今も自分の脳内に心が叱責し続けている。
でも、明らかに状況が変わっていることは確かだ。
本来はこの時間、自分は微かな声の余韻で眠っているのに全く眠くならないのだ。
今録音を聞き返しながら、拙い言葉かもしれないがここにありのままの思いを書いてみようと思う。
最後の教育委員会のテーマが「ラジオ」だったからだ。
物心ついた時から、私はラジオを聴いていた。
幼稚園に行く道中で車から流れていた声。
小学生の時に朝ごはんを食べながら聞こえていた声。
中学時代、休日の午前中の部活が終わったあと、母の「おかえり」の声と共に冷たい炭酸飲料を飲みながら聴いた声。
放課後、母の会社に寄って宿題をしながら聴いた声。
受験勉強中に聴いた声。
途中で流れるローカル番組の、パンのCMが大好きだったこと。
面白い歌が流れたときは数日間話題になって笑いあったこと。
そのなかで、いつの間にか終わってしまった番組がいくつもあること。
今思い起こせば色々な思いがあるのだ。
ラジオと共に私は大きくなっていったのだろう。
私が本格的に「ラジオリスナー」としての
「名前」を付けたのは高校生の時。
高校選びに失敗し、クラス全員からいじめの対象にされた過去を思い出すと今でも涙が出そうになるが、本当にあの時は居場所がなかった。
この時は何故かラジオに頼る選択肢を見つけられず、何回も何回も死のうと思った過去があったのだ。笑えなかった。
制服を脱ぎ捨てて何日もベッドに横になって、窓の外をぼーっと見て、布団と、4歳の時から一緒のぬいぐるみに涙を流している生活。コロナでもないのに味覚を失って、おかゆレベルのものですら固形物を飲み込む度に苦しくなる。今思えば灰のような生活をしていた。
未遂だってした。
体すらも傷つけた。
もうどうしようもなくなって実家の部屋の窓際を見た。
その視界に、12歳の誕生日で買ってもらったプレーヤーがあった。
ふとラジオを付けた。
確か、土曜日の夜にラジオドラマが流れていた番組だと思う。
やさしいやさしい女性の声だったと思う。
その時大粒の涙が流れたことを覚えている。
15か16の時の思春期真っ只中の自分が、誰にも頼れなかった自分が初めて、ほかの人から「まだ生きて」と言われた感覚がしたことを未だに覚えている。
赤ちゃんがおくるみに包まれているような、ふわふわの毛布のような、そんな暖かな感覚だった。
それから私は学校に行けなくなったものの、
気持ちは悪化することがなかったと思う。
時々別室に登校した時は、勉強しながら聴いて。
保健室のベッドで聴いて。
1人で帰る道のりで聴いて。
寝る前にはSOLを聴いて。
掲示板をみて様子を観察して。
もちろん家族ともラジオを聴いて。
沢山沢山助けられたのだ。
通信制高校に転校してからは、
「私、SOL聴いてるよ!」とラジオ関連の友達ができた。
掲示板や廊下のアカウントでは、たくさんの素敵なリスナーさんと出会えた。
そして、色々な言葉に対する、自分の世界が広がっていったように感じた。
目標ができた。
だから大学1年生になった今、幸せでいられている。
長々と書いていったが、結論として私にとってのラジオは「命を繋げるもの」だ。
私が死のうと思った時、つなぎとめてくれたもの。
生きる、ひとつの理由となったもの。
死ぬまでの思い出にしようと思えたもの。
私は今、作家を目指してたくさんの作品を見て聴いて書いて書いてそして沢山の評価を頂けるように毎日なにか「作品」に触れている。
ラジオも「作品」のひとつ。
思い出も「作品」のひとつ。
自分が感じた感情も「作品」のひとつとして、色々な形に自分なりに書き留めている。
だから、世間的に終わってしまったことも
私にとってはずっと残り続けているのだ。
そしてずっと大好きなものなのだ。
生きている限りずっとそばに居続けてくれるのだ。
私はここで、今まで出会った番組全てに感謝を送りたい。本当に、本当に、ありがとう。
いつか目標を叶えるために
未来の鍵を掴むために
ラジオと共に、生きます。
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