生きやすくなるスクリプト
私の実家の近所には春になるとシロツメクサがたくさん咲きます。
それで、シロツメクサがあるところにはクローバーが咲いているので、今年こそは四葉を見つけようと思って、道路わきで車の音がゴーゴーと聞こえる小さい野原で、しゃがみこんで四葉を探すのです。
だけど、そのうちしゃがんでいる足がしびれてきて、私は四葉を探すことをいつも途中で諦めてしまうのです。
四葉のクローバーを見つけたら何かがあるというわけでなく、幸せになりたいからと必死になっているわけでもなく、ただ、それを見つけたら珍しいからうれしいだけなんです。
もう少し道路から離れた野原だったらと思ったり、もっと静かで小鳥の声が聞こえるような場所だったら、ゆっくり鼻歌でも歌って根気強く探せるのかなあなんて。
だけど、私はなんとなく四葉が今年も見つからないことを知っているし、四葉を探したからと言って人生の何かが大きく変わるわけでもないことを知っている。
顔を上げて遠くを見ると、道路の向こうにもポツポツとシロツメクサやクローバーが咲いている場所が見えて、だけどそこまで歩いていく元気もない。
だって、春だというのにもう蝉の声がうるさくて、日差しが暑いから。
汗ばんでくる額を感じながら、あとこの箇所だけさがしてみようと、もう何回目かの「これで最後」を自分の心の中で呟く。
しゃがんだまま前に前に進んでいったら、いつのまにか工場の壁の前まできていて、そこに大きな配管が壁を守るように張り巡らされているのが目に入る。
工場の中からは車とはまた違ったゴーゴーという機械の動く音が絶え間なく聞こえていて、こんなそばだから、四葉のクローバーがないのではないかと、ちょっと工場のせいにしてしまう。
四葉は神聖なものだから、穢れない美しい土地に咲いていて、おだやかできれいな空気の元ならたくさん四葉があるのではないかと、目の前にない光景を想像してうっとりするのです。
工場の壁に張り巡らされた配管はとても太くて、私がよじ登ってもこわれそうにない。
だけど大きな音に耐えきれない私は、怒りとともにちょっと工場の中も気になって、のぞいてみることにしたんです。
工場は扉などなく大きな四角い入口がいつも開放されているから、ちょっとのぞくだけで中が全て見えて「お、みんながんばって働いてるな!」となんだかワクワクしてくる。
私も大人になったら、こんな工場でみんなと協力して仕事をしたりするのかなあと思ってみたりして、何が乗っているのか分からないカートを運んでいる作業着の人を目で追っていく。
ツンと油のようなにおいがして、このにおいは嫌いじゃないなあと思うのです。
工場の人はみんな灰色の作業着に灰色のキャップを被っているから、みんな同じに見えて、それが個性を持たない工場の中の歯車の一部のように思えてくるんです。
私もあのように自分の個性や自分の顔を分からなくして、誰だか判別できない何かの一部になれたら、こんなに自分の見た目や幸せを気にしたりしないのかなあと、私は自分のてのひらをマジマジと見つめます。
自分の心臓が鳴る早さを感じると、工場の機械の騒々しい音よりももっと早くなっている気がして、自分は何に生き急いでいるんだろうと考えます。
自分のことを考えるといつもそうで、なぜか「私」に注目した途端に緊張してこわばっていく体を感じます。
アフリカの大きなゾウを思い出した時、そのシワシワの肌や鼻が泥まみれになっているのに、それでも気持ちよさそうに水浴びしている姿がとても涼しそうに思えます。
沼に足を突っ込みながら、バシャバシャと水を浴びるゾウは、大きな足を一歩一歩前に進めて、ゆっくりとした動作で沼を鳴らします。
沼は、沼なんだけど、ゾウが大きな足の裏で踏むたびに、太陽の光でキラキラと光る水が波紋を広げていくのを、とても神秘的に感じるのです。
ゾウはしわくちゃな顔の中の小さな目をパチクリさせて、また一歩、また一歩と沼に波紋を作っていきます。
沼はバシャバシャと音を立てながら、やがて雨上がりのきれいな虹を反射させていくのです。
沼に反射した虹は、ゾウが歩いて水面が揺れるたびに少し形が歪むけれど、はっきりとした7色に見えて、私はその光景を絵に描いて残したいなあと考えるのです。
ゾウは、そんな私の気持ちなど知らずに、ただ沼の中をゆっくりゆっくりと歩いていって、仲間の元へと集まっていく様子がここから見えます。
小さい子供のゾウや、中ぐらいのゾウたちがゆっくりと輪を作って互いに水を掛け合うと、より大きな水しぶきの音が鳴って、あたりがキラキラと輝くのです。
私はその光景をとても平和だなあとぼんやりと眺めて、さっきまでの胸の早い鼓動が、いつの間にかおさまっていることに気づくのです。
ゾウは、誰の目を気にしているわけでもなく、ただ、ゆっくりと自分の道を歩んで、仲間の肌の乾きを癒すために水を浴びせています。
その水を浴びた小さなゾウや中ぐらいのゾウは、またその大きなゾウに水を掛け返して、そうやってどんどんこの沼地はにぎやかに音で溢れていくのです。
仲間に入りたいとは思っていないけど、そんな仲睦まじい姿を眺めていると、私の心もおだやかになっていくのを感じます。
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