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仲良くするスクリプト

思い出すのは子供の頃のことで、私は両親にもらったテディベアをとても大切に抱いていた。

そのテディベアはふかふかの白い毛並みで、赤と茶色のチェックのリボンをつけている。

部屋の外からは何人かの元気な子供の声が聞こえてきて、私はふと、そちらの方を振り向くと、薄暗い部屋の窓から木漏れ日がこぼれていて「まぶしいな」と思ったんです。

母親はとてもキレイ好きなはずだったけれど、部屋の中には薄くホコリが舞っていて、それが光に透けて見えるから、雪がしんしんと降り積もっているように幻想的に見えるんだ。

窓から射し込む僅かな光が、本当に僅かに明るいだけなのに、私にはとても眩しく明るく感じて、目を細める。

きっと外に出ると、子供たちの声がもっと大きく聞こえて、車の音もゴーゴーと鳴っていて、私は思わず耳を塞ぐんだと思う。

だから、この薄暗い部屋でギュッと、両親からプレゼントされた真っ白いふかふかのテディベアを抱えて、小さく縮こまったまま座っているしかないんだ。

薄暗い部屋の中で、白いテディベアは一際輝いているように見えて、「ああ、私もこれぐらい白くきれいな存在だったら良かったなあ」と、その白いテディベアの白さがうらやましくなってくる。

何もない部屋の中で、室外機の音が響く静寂の中、この暗くて静かなところが本当は居心地よく感じていることに気づいてしまう。

暑いのも寒いのも嫌だし、誰かに合わせて話をするのもしんどいし、自分の気持ちを伝えるほど、今の私は元気ではない。

それを、誰かに分かってほしいとかいう気持ちは本当になくて、ただただ私と白いテディベアを放っておいてほしい。それだけが願いだった。

私が大切にしているものがもう一つあって、それは昔、家族で行ったキャンプでたくさんたくさん探した四葉のクローバー。

四葉ではなく、五つ葉であったり六つ葉であったり、それを大切に勉強机の中にしまってある。

それをそっと引き出しを開けて、たまに眺めていると、あの時の楽しそうな両親の声が思い出される気がしたんだ。

その楽しい声を聞くのがいつも辛くなって、私はそっと四葉のクローバーを引き出しにしまって、しばらく勉強机からは離れて生活をする。

四葉のクローバーは私にとって大切な宝物だけど、同時に、なぜか思い出したくない楽しい過去が、そこに封印されている気がして、いつまで経ってもむきあえない。

もっと栞にしたり、シールにして目立つところに貼ったりして眺めていたいのに、楽しい思い出はなぜか私の胸をチクリと刺して、そして距離を開けようという思いにさせてくるのだ。

両親が楽しそうに話すと、私は黙る。

なぜか、私がしゃべると、みんな面白くなさそうな顔をすると思ってしまって、その輪の中に入るのがとても怖い。

ある時、道端で女性物の傘を見つけた。

その傘がなぜ女性物だと分かるのかというと、薄いベージュの色に、傘の縁が茶色いフリルがついていて、まるでプリンのような可愛らしい傘だったからだ。

それが、田舎の路地の木の柵に立てかけてあって、忘れ物なのかあえてそこに置いて去っていったのか、そこには誰にも聞く人がいなかったから分からないけれど、そのまだ新しい傘が、私はなぜかとても気になってしまうのだ。

通りには誰も歩いていないから大きな声を出すわけにもいかないし、この傘をここから持ち去るのもなんだか気が引ける。

この可愛い傘が欲しいとか、そういうのでもなくて、ただ「なぜここにあるのか?」を私は知りたいだけなんだ。

傘を開いたら、もっと可愛いかもしれない。
そんなことを思わせるような、しっかりとした骨組みの傘は、持ち主をなくしたけれど、なお輝いているように見える。

この路地に似つかわしくないオシャレな傘を、私は相応しい場所に連れていきたいのかもしれない。

歩くと、ジャリ…ジャリ…と砂が鳴る道を、私は誰にも気づかずに傘を相応しい場所へと持って行ってあげたいんだけど、この足音が鳴るから、途中で誰かに気づかれるんじゃないかと思って、ある一定の距離から傘に近づけなくなってしまっている。

じゃあ、傘に相応しい場所はというと、もっと賑やかで人がたくさん騒いで笑っている楽しい場所、と浮かんでくる。

この昭和の街並みの路地にあるのは、どうにもしっくりこなくて、もっと今時の、若者たちのところへ持って行ってあげねば、とそんな気持ちにさせるのだ。

私は賑やかで人がたくさんの場所は苦手だけど、もしそれが傘に似合う場所なのだったら、私はその場所に届けることを苦に思わないはず。

傘の運び屋として、ここから似つかわしい世界に行くための架け橋と、私がなることは、私が今決めたことだから、そこに勇気と行動力があれば、何も怖くないと今、感じている。

それを傘が喜ぶかどうかは分からないけれど、嫌がらないんじゃないかなという気持ちと、私がこの傘に惹かれる理由が自分でも分からないけれど、風変わりな傘の落し物を、私はまた誰かに活用してもらうために、そこに届けるのかもしれない。

私では使えない柄の傘だから、まだ新しいこの傘を、もっと大切に愛用してくれる人がいれば、私はその姿を見るだけで満足なんだ。

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