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【短編小説】ハッピーアイスクリーム

「あー、もう!」
クレーンの様子を見つめつつ、三輪さんが地団駄を踏んだ。ゆるく巻いた髪が背中で揺れる。
「今日もう、あと一回だけなのに。神様、お願いしますお願いします」
祈りながら、三輪さんはUFOキャッチャーの台に小銭を入れた。
何となく結果を見るのは怖いような気がしてガラスケースから視線を外し奥に目をやると、男がひとりスロットマシーンの画面を睨んでいた。慎重な手つきで順にボタンを押していく。絵柄が二つ揃った。三つ目は、残念ながら違う絵柄だ。
男は溜め息をつき、バン!と大袈裟な仕草で台を叩き立ち上がった。その瞬間、景品の出口からコインが泉のように湧き出した。勢いよく滑り出すコインは止まらず、男の足元に溜まっていく。身動きが取れず呆然と立ちすくむ男を見つめたまま、彼を手助けするべきか迷っていると、ふいに後ろから手を引かれた。
「行こ、はるちゃん」

店内に比べて外は随分と明るく、薄くシュッとした雲が空に浮かんでいる。
「あー、あのキティちゃんのポーチ欲しすぎるー!」
三輪さんが、私と繋いだ手を軽くゆすった。
「一日に使える分の7割をゲーセンにつぎ込んだとして、あと147回挑戦出来るよ」
ざっと計算しそう告げると、三輪さんはパッと手を離し私の両肩を掴んだ。
「そんないっぱい?てか、はるちゃん頭良い、さすが有名都立高だわ」
いや、小学生でも出来る計算だよ、と突っ込みたくなったが黙っておく。
「なんかさ、いっつもわたしに付き合ってもらって悪いなあ。はるちゃんは何かしたい事とかないの?」
三輪さんが、ふらふらと適当な足取りで道の端を歩く。
「ここの親指の爪が伸びてるのずっと気になってて、早く切りたい」
右手をいいね!の形にして三輪さんに見せるも「えー、そうゆうんじゃなくて、もっとワクワクするやつ」と、私の願望は却下されてしまった。

前方に、腰の曲がったお爺さんが歩いている。落ち着かない様子で辺りを見回しており、どうやら道に迷っているようだ。そのうち話し掛けてくるに違いない、そう思い身構えていると、三輪さんが横っ飛びをして擦り寄って来た。
「ねえ、プール行かない?飛び込みやりたくなっちゃった。泳ぐのもだけど」
「三輪さんて、ほんと元気というか、生命力に溢れてるね」
「だって、こんなに体が軽いの、久しぶりなんだもん」
彼女は呆れている様子の私を気にする事なく、少し先をスキップで進み始めた。

「お嬢さんがた、あの、すいませんね」
案の定、すれ違いざまにお爺さんから声を掛けられた。
三輪さんは聞こえないふりをしている。
「散歩しとったら家の場所が分からんようになってしまいまして、教えてもらえますか」
「家っていうか、宿泊施設はあっちですけど」
ゲームセンターのほうを指差すと、お爺さんは軽く頭を下げたあと「お嬢さんたちは、この後どこか行かれるんですかね」と訊いてきた。
「あ、私たちは...」
言いかけたところで、左側から力強く腕を掴まれる。
「ね、早くしないと閉まっちゃう!」
駆け出した三輪さんに引きずられるようにお爺さんを後にし、しばらくして振り返ると、お爺さんは先ほど話し掛けてきた場所にかがみ込み、地面に穴を掘っていた。老人とは思えない、力強い掘りようだ。白く撒かれた砂の下から、黒い土が顔を出している。お爺さんの両手はまるで大型犬の前脚のように、一度に大量の土を地面から掻き出していた。宿泊所に戻るのが面倒だから、今晩はあそこに穴を掘って寝るつもりなのかもしれない。洞穴はいつ完成するのだろう、入ってみたらきっと落ち着くのだろうな。お爺さんの新しい寝床に思いを巡らせていると、気づけばプールの受付に立っていた。
「ねえ、はるちゃん、お金貸して」
三輪さんが耳元で囁く。
「水着借りるお金が足りないの、100円だけ」
「うん、いいよ」
今朝支給された千円札を取り出し、受付の女性に「これで二人分お願いします」と渡す。
「ごめんね、明日絶対返すから。プール代も」
三輪さんが真剣な顔でこちらを覗き込む。
「いいよ返さなくて。UFOキャッチャーに使いなよ」
以前にもこんなやり取りがあったなと思いつつ更衣室へ向かい、水色のロッカーの側で着替えをする。
「そうだ、前から訊こうと思ってたの」
水泳帽に髪を押し込みつつ、神妙な顔で三輪さんが口を開いた。
「あのさ、元居た世界の、友達とかの夢に出れるサービスあるじゃん。時間制限とか、そういうの覚えてる?前に聞いたけど忘れちゃったの」
「ああ、あれね」
目の前に並ぶロッカーに刺さっている鍵の本数が、いつもより少ない気がする。この時間帯はプールが混み合っているのかもしれない。
「最大10分まで、人数制限は特になし、あと、予約投稿も出来たはず」
「うわー、さすが!」
とっくに着替え終わった私とは裏腹に、三輪さんは後ろ手で髪を水泳帽に押し込むのに苦戦している。
「パパとママと、親友と...、お見舞いに来てくれた人たちにも全員会いたいから、物凄い人数になっちゃうなあ」
「あ、三輪さん、あれだよ。会うっていうか、あっちの様子は分かんないんだよ」
最後に残ったひと筋の髪を帽子に入れつつ、三輪さんが目を見開いた。
「えっ、会えないの!夢でハグしたりとかもダメなの?」
「うん、こっちが一方的に相手の夢に出て、なんか言ったりするだけ」
「そうなんだ...」
三輪さんはうつむいて、手首に巻いたロッカーの鍵をいじくった。
「私のこと、忘れないで欲しいから全員10
年後とかにしようかなあ」
「それもいいけど、システム自体確実なのかどうか、検証しようがないからね」
「はるちゃんは、誰かの夢に出たことある?」
「えー...、内緒」
誤魔化したけれど、誰かの夢へ訪れるつもりはなかった。生まれてこの方、遊びも趣味も最小限、絵に描いた優等生のように勉強ばかりの日々を送り、そんな自分をどうにか変えてみたくてバンジージャンプに挑戦したら事故って一生を終えただなんて、間抜けにも程がある。莫大なお金を費やし育ててくれた両親はおろか、友人たちにも到底顔向け出来ない。
「まあ、完全に成仏するまで、まだたくさん日にち残ってるし、ゆっくり考えればいっか」
と三輪さんは、帽子に収めた髪を気にしつつ更衣室の出口へ向かった。

薄暗い廊下を並んで歩くうち、足の裏に触れる床が湿り気を帯びていく。植物園の温室のようなこもった空気が漂ってきて、視界が開けた先に巨大な室内プールが待っている。
「うわ、激混みじゃん」
「なに、今日混みすぎ」
ふたり同時に言い終わるや否や、「あっ」と三輪さんが叫んだ。
「ねえ、あれ。あれだよ、なんだっけ。昔流行ったやつ。こういう時、先になんか言ったほうが勝ちなの」
「なんかのゲーム?」
「そう。あー、悔しい、思い出せない」
三輪さんはしばらくその場で足踏みをしていたが、「まあいっか、早く泳ごう」と飛び込み台へ向かった。
そろそろと壁際に歩いて行き体育座りをしていると、プールを挟んで反対側の窓辺に座る三人の女性が視界に入った。それぞれ、私の母、叔母、祖母といった世代の女性たちだ。真ん中の女性が身振り手振りを交え、ひっきりなしに何か喋っている。顔の向きが、左右に向けてせわしなく切り替わる。

「はるちゃん!見てて!」
6番の飛び込み台に立つ三輪さんに呼ばれ、そちらへ向かって軽く手を振る。彼女は、両手をピンと伸ばしプールの水面へ落ちて行った。周囲の人たちが驚いた様子で一斉に避け、空いたスペースに水しぶきを上げ三輪さんが飛び込む。

向かい側の女性たちが、三輪さんの事を注視している。なかでも中央の女性は、眉をしかめ首を振り、三輪さんの言動を快く思っていない様子だ。

三輪さんはそのまま6番のレーンを滑らかに進む。水と戯れるようにゆっくりと泳ぎ、私が二呼吸するあいだに一度ほど、水面に顔を見せる。

1番レーンの端では、幼稚園くらいの歳の女の子がプールのへりにつかまってバタ足をしていた。受付の女性と同じポロシャツを来たスタッフが、腰を屈めその様子を見守っている。
壁際の奥では、カップルのように見える男女が、水で床に文字を書くなどして静かに遊んでいた。

「はるちゃん!もっかい!」
プールのほうへ視線を戻すと、コースを泳ぎ切ったのであろう三輪さんが、先ほどと同じ飛び込み台の上に立っていた。
彼女に向かって手を振ろうとしたその時、向かい側に座っていたおばさんが三輪さんに向かって歩き出した。三輪さんがそれに気が付き、きょとんとした顔でおばさんを見つめる。まずい、トラブルの予感だ。

「あんたね、さっきからうるさいし迷惑なのよ」
おばさんが口火を切った。
「みんなちゃんと、ルールを守って使ってるの。大体、ここ飛び込み禁止じゃなかった?」
「え、そこにスタッフの人いるけど、何も言われてませんが」
三輪さんは強気だ。
「スタッフがどうとかってんじゃなくて、みんなが迷惑してんの!」
一歩も引かない三輪さんに苛ついたのか、おばさんが語気を強める。
「あんたみたいな女、来世は人間になんてなれないからね!豚よ、豚!」
「うるっせぇなー」
三輪さんが吐き捨て、次の呼吸をはじめる際に思い切り息を吸ったのち叫んだ。
「わたしの青春を、邪魔すんじゃねえよ!お前なんて次、カメムシだからな!」
近い将来カメムシに転生する、と予言されたおばさんは、その光景を想像したのか口をつぐんだ。その間も、三輪さんは鋭い眼光でおばさんを睨み続ける。
プール内の人々が、不穏な空気に耐えられなくなったのか、続々と出入り口に向かって歩いて行く。
「と、とにかく!あんた一旦外に出るわよ」
自分たちが最も迷惑な存在となってしまっている事に気づいたおばさんは、三輪さんの肩を押し、出入り口へと向かった。こちらを振り返るかな、と背中を見つめていたが、三輪さんはぴくりとも頭を動かさないまま、おばさんに連行されて行った。

壁際に座り直しぼんやり宙を見つめていると、向かいの女性たちが苦笑したような表情を浮かべ、こちらに向かって会釈をした。私も真似して軽く頭を下げた。

三輪さん早く戻って来ないかな、ほら、もうこんなにプールが空いた。飛び込みし放題だよ。心のなかでつぶやいていると、閉館の音楽が流れ始めた。
向かいの女性たちがおもむろに立ち上がり、重たい足取りで出入り口へと向かう。
彼女たちの背後にある全面の窓に映る空はいつの間にか灰色に変わり、斜め下にあるプールの水面は透明感を失い暗く沈んでいる。
ふいに、空の途中で雷が光った。ギザギザの光線が、枝分かれをしつつ瞬く間に地上へ向かって降りてくる。物理の教科書に載っている写真を貼り付けたかのような、音のしない光景を眺めつつ、プールへ足を差し入れる。ぬるい水のなかを進み、反対側のへりを目指す。まとわりついてくる水を体で引き裂き、両手を伸ばしてへりを掴む。窓枠に身を預けるような感じでプールのへりに体重をかけ、眼前に広がる空を見上げた。次は、雷なんていいかもしれない。綺麗だし、存在感があるし、きっと好きな人にも見つけてもらえるから。出入り口のほうを意識しつつ、へりから手を離し水面に浮かんだ。耳元で水がごうごうと鳴って、下から誰かに押し上げられているように、体がプールに沈むことはなかった。



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