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NEEDY GIRLでOVERDOSE

!この記事にはNEEDY GIRL OVERDOSE全クリア後の感想が含まれます

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前記事(https://note.com/tsuyu_tarou/n/n1905ef49ff43)に追記として書こうと思ったけど、一個の記事にできそうなくらい色々浮かぶので分けることにした。
各項目同士にたいした関連性もないのでほとんどメモ帳。

1.やっぱ破滅なのよ

まずひとつめ。
全て回収した上で、一番好きなエンドは不動のまま、"INTERNET OVERDOSE"であるという話。
他に上位にいるのはNEEDY GIRL OVERDOSEやThere is No Angel、要するに「死を伴う破滅」なエンドがもうたまらないくらい好きなのである。

Happy end worldというエンドにある意味「善い」衝撃を受けたのは確かだ。
けれど、手を出した理由、元々このゲームに求めたものからすると若干満たされない。
「ヘラった女の子吸いたい」「一緒に破滅したい」から手を出したのだ。
性癖面で強く信頼しているフォロワーが「君の好きそうなやつ」と勧めてきたのもそういった要素があるからで。
それに、ハッピーエンドだけが「好みの話」になるかというとそうじゃない。

INTERNET OVERDOSEは、好きなエンドの中でほんの少しだけ毛色が違う。
NEEDY GIRL OVERDOSEやThere is No Angelは「命」としての死なのに対し、こちらは「あめちゃん」という存在、あるいは自我の死だ。
配信で大荒れし吐いて炎上、没落、身バレ、家凸、要領を得ないまま進むやりとり。
「誰からも愛されないあめちゃん」は死に、「みんなに愛されている超てんちゃん」が遺影を手に配信を始める。

だってピがちゃんと「あめちゃん」を愛してあげればこんな風にならないんだもんね~~~!!!

変なはしゃぎ方をしてしまった。
ちょっと真面目な話をするなら、これは「なりたい自分になっても救われなかった奴」の面でもあるだろう。
少し前にツイッターで見た「なりたい自分がいない人、なりたい自分になっても結局救われなかった人が仮想世界を歩いてどこに到達するか」の話も思い出す。
ちなみにプレイ状況を眺めていてやりたがった妹にマウスを託したところ到達したのでそのまま見ていたが、とにかく演出がグロい。
めちゃくちゃ見られてる。文字が大きい。消さないと消えない、多分消しても消えてない。なんか視界に浮いてる。チャイムがずっと鳴ってる。
DAY28がきっとあめちゃんの死んだ日で、「たすけて」には何もできないしあのときの文字列に全てが書かれていると思う。
最後のひと押しは、あるいは「ピ」かもしれない。
たまらんね、散々心を揺さぶられるのに創作物だから現実には何ら影響してこない破滅は。


2.Data0

「ひみつのこと.txt」を見て震えた。
中身そのものもそうだが、これまでの認識があらかたひっくり返された。
あめちゃんの状態によって様々な表情がウェブカメウィンドウに表示される、
えっちなことをすると薄暗くなったあめちゃんのいない画面が縦揺れする、
おでかけをすると電車が走っていくアニメーション表示と行った先のツイートが投稿される、
だーくねす状態でQTEみたいに実行されるリスカ、
それらを「ゲームとしてのデフォルメ」だと無意識に飲み込んでいたからだ。

そもそもあめちゃんとピの繋がりとはなんだろうか。
回線越しだとするなら「量産されるイマジナリーフレンド」のていは満たしづらい。少なくとも、あれだけの返しをできる回線越しの存在が今のところ人間しか知れ渡っていない以上は。
それに、あめちゃんがいつも映るウィンドウの名前は「うぇぶかめら」だ。
ZoomとかSkypeみたいなビデオ通話系サービスのパロティっぽさは感じない。
だから、本当にピが「あめちゃんのPC」の中にしかいない可能性もある。
ゲームオーバー画面がブルスクの見た目をしているのも、意図しない挙動(自分の思い通りにならない)のピを捨てて復帰処理が行われているからかもしれない。

でもそれなら、紙食べたときピの後ろに見える触れてはいけなさそうな存在は?
超てんちゃんが「かみさま」と呼んだ何者かは?

自分が大好きな概念を引っ張りだすなら、「繋がり得ない世界がたまたま繋がってしまった」結果かもしれない。
その上で、目の前にある非現実を受け入れさせる手段として「創作物である」は至上だと思っている。自分の所在が現実であると認識したまま抵抗なく非現実を受け入れていくわけだから。

3.「LANケーブルを抜く」の意味

これ、ずっと考えてしまった。
それで思ったのが、「回線で繋がっていたあめちゃん」を切り離したことであめちゃん本人の意思というものが関与しない(あめちゃんの想定の外)、かつ「回線切って健やかに生きる」未来が映し出されたのかもしれない。
このエンドが「配信者殺し」と呼ばれているのはだいぶ好き。ダブルミーニングみたいなものを感じるというか。
ただ、Data0の中身を知った上で見たエンドなので微妙に辻褄が合わないような気もする。
時系列がわからない以上辻褄の話はしない方がいいんだろうけども。