知らない街の真夜中で迷子になって見つめるいにしえのエレベーター
百貨店で迷子になった記憶はないけど、「小さい頃迷子になったとき館内を歩いているとき制服と白い手袋を着けた大人びたスタッフと年季の入ったエレベーターを見てなんだか途方に暮れて泣きたくなるみたいな気持ち」になったことはある。
処理が追いつかないものに出会って、ぼーっと放心してしまうことがある。物心付く前のそれをトラウマとか遠い記憶、付いた後に感じるそれ(とりわけその中でも自分自身に心当たりがありすぎるもの)を青春って呼ぶらしい。
2024年8月17日の真夜中27時過ぎ、千葉県幕張。つい10時間前までLaufeyの演奏を聴いていたときのソニックステージの姿形はほとんどなく、半日いたはずなのに知らない空間みたいだった。浴びたことがないグルーヴ・揺らぎが身体を包んでいた。
初めて演奏する姿を見たRobert Glasperは開始40分間ただひたすら鍵盤に向かい時折自ら歌いながら夜通し机に向かうみたいに旋律を奏で続けた。彼の存在を初めて意識したのはインスタライブの切り抜きで「音楽やるなら楽譜やコード表をプロに教えてもらう前にまず耳コピして練習すべき!!」という旨の説法が流れてきたのを見たときだ。当時JazzとR&Bに今より疎かった自分はMIDNIGHT SONICのラインナップを見る前、その説法のお兄さんと「Robert Glasper」が同一人物だとは思わなかったのだ。予習しよう〜と思って聴いた『Black Radio Ⅲ』が最高に良くて素直にしびれた。
そんな音楽にストイックな自分とひとまわり歳上のグラスパーが部屋にこもって机に向かうように目の前でキーボードを弾いている。シームレスで続くセッション。時間を綴じ込めたみたいなアンビエンス。ふとした瞬間に聴こえてくる日本語の無機質なサンプリング「音楽は人生、人生は音楽、音楽はアート、アートは人生」。唐突に雷雲が頭上に被さったようなジャスティン・タイソンのドラムソロ。MIDNIGHT SONIC "so sad so happy 真夜中"のステージを丸ごとキュレーションした張本人星野源さんが乱入し「Pop Virus」をぶっつけ本番でセッションする。Yebbaがステージに上がり突き抜けるような歌をオーディエンスに投げかける。誰かがフィーチャーされるとき、さっきまでスポットライトを浴びに浴びていたグラスパーはスッと半歩下がり音楽そのものになっていた。夜中の水族館で熱帯魚が泳ぐ水槽みたいなイベントのキーアートを背景に深い底まで引き摺り込まれ、気付いたら文字通り途方に暮れていた。
すべての演奏が終わり、幕張メッセを出ると外は明るく相変わらず朝なのに少し蒸し暑い。丸々24時間前に来た道を戻っているだけなのに知らない街を歩いているような気持ち。ジャズが鳴り続けるエレベーターが向かった先は一見全く同じに見えて昨日とは違う日常の姿だったのだ。わからないなりに近しいものがあるとするならば賑やかで眩しい人混みをすり抜けてダッシュで逃げ込んだカラオケボックスで夜通し過ごした後に朝日を浴びながら1/2の速度で歩く5時の湿って静かな西武新宿みたいな感じ。
この蒸し暑さは10月まで続くのだとかいう(嘘だろ…)と思うような言説もあるし、いよいよ四季の概念がめちゃくちゃになってきそうだなと思う。それでも何故か自分達はいつでも「春」にとらわれているし、その季節の正体をいまだによく解明できていない。寂しい秋 凍れる冬 暖かい春 暑い夏そのどれにも当てはまらない幻の5つ目の季節こと青春。真相はよくわからないけど、たぶん青春ってグラスパーが急に「Pop Virus」弾き始めたとき、夜も深くなって幕張メッセの床に寝転んで眠っていた人が条件反射で飛び起きてステージ前方に駆け寄っていったことを指すんだと思う。
↓DJアクトで流れていた曲かき集めてまとめた↓
↓8月のプレイリスト↓
ちょっと前にNHKホールで観た『JAZZ NOT ONLY JAZZ』とこの一日が今年の夏をJazz一色にしたのだった。その衝動で一枚絶対良さげなアルバムをポチッてしまった。どっかでまたレビューできたらいいな。