クリスマスキャロルの「キャロル」が何なのか分からないまま老いて逝きたい


ジョン・レノンの「Happy X'mas(War is Over)」いつも年末にしか流れない。山下達郎「クリスマス・イブ」もクリスマス過ぎたら霧が晴れたみたいに流れなくなる。でも羊文学の「1999」は全季節いける。タイトルに「クリスマス」って入ってないからなのか、くるりの「ワールズエンド・スーパーノヴァ」は全季節いけるし、ポール・マッカートニーの「No More Lonely Nights」もいける。いつ聴いても良い"という状態を自分は"全季節いける"と呼んでいる。季節のこと歌っていない曲が全季節いけることはよくある。が、特定の季節のことを描いている曲が全季節いけるとき、それはもう絶対名曲。全季節いける曲は大体お守り。

それはそうと稲垣潤一「クリスマスキャロルの頃には」も聖夜過ぎたら霧が晴れたみたいに…

ちょっと待った。クリスマスキャロルの「キャロル」ってなんだったっけ。


たまにある。「あれってなんだっけ」「これどういうことだっけ」と頭の中にクエスチョン突風が吹くことが。そういうとき、風にあおられ宙に浮いているような感覚になる。きっと調べたら一発で地に足がつく。でも、この感覚の狭間で浮いていたいときがあるのだ。

知らないという選択をしたままでいることで出来る魔法陣みたいなものってあると思う。

それは例えば、栞を途中に挟んで読みかけの本を溜めてしまっているときの状態に近い。人と会って約束をしているときとも似ている。PCに入力したら1秒の狂いも無く当日アラームと共に予定を知らせてくれるリマインダー、そこに記された無機質な活字よりも柔らかく確実に温度をもった、体温に近いものがそこには宿っている。

膜が張られるというか。水中に潜っているときの鼓膜の揺らぎ。真夏の正午、市民プールから上がったあとの身体のだるさみたいな。「鈍感力」とかいう言葉をまだ知る前の、なんか無敵かもしれないと思っているあの状態。子供ならとくに。知ることがすべてじゃないときもある。


12月25日が来るまでの間流れているクリスマスソングも、無敵である。1ヶ月も前から頭角を表し、それは12月24日0時0分から12月25日23時59分までの間、獲物に狙いを定めたクリオネのように触手を広げて街全体を永く飲み込むのだ。いま街は魔法陣の中。渦の中に居ながら知ってしまう前の柔らかい膜の中で、私達は子供になる。知ってしまい渦から弾き出されたあと、ちょっとだけ大人になる。大晦日までの急流のような残りの日を少しだけ怖れながら。



Homecomingsのクリスマスライブ観に横浜いってきました。ライブも本当に良かったし陽が落ちた赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットも最高だった!メリークリスマス&良いお年を!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?