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山の麓からはじめのシャッポを深々と被って覗く蝶



いま絶賛アルバムの制作期間中である。

部屋に篭りmacbookに向き合いヘッドホンで耳を覆った姿はひとり完全に社会と遮断されたみたいな気持ちになる。社会とつながる感覚を必死で探し求めている。原体験はいつだろう。初めて社会と繋がった瞬間はどんなだっただろう。

いまは住んでいないから町名記載していいと思うけど、高校まで自分は長崎市の竿浦町という山と山の間にある道路沿いの住宅地に住んでいた。今でこそ毎日朝昼夜ずっとradikoでラジオを聴いているが、ラジオに触れて間もない頃はだいたい土曜日に番組を聴くことが多かった。よく聴いていたのは福山雅治(以下ましゃ)のオールナイトニッポン サタデースペシャル魂のラジオ。いわゆる『魂ラジ』である。そのころ地元(つまり自分も当時住んでいる長崎)で写真展『残響』を開催していて、来場したリスナーの感想メールを読んでいた週のことだった。慣れないタイピングでメールを自分も送っていた。「まだ10代だし、ましゃ程の残響を地元長崎で感じれてはいないが、いつか旅立って振り返ったときに感じれたらいいな」みたいなことを書いた記憶がある。

いつものようにラジオを聴いていたら自分が書いたラジオネーム(普通に下の名前)が読まれた。何日か前にタイピングした内容をましゃが声に出して読んでいるのだ。急いでラジカセの録音ボタンをガチャっと親指で押した。録音できていた。何か社会と繋がれた気がした。体温があがった。ここで今日のエッセイを終えれたらめちゃくちゃかっこいいなと思う。

一通りメールを読み終えたましゃと相方の荘口彰久アナ「ほう…嬉しいですね…ありがとうございます。うん、サオのウラだって。」「なんてすけべな…」

一発で読んでもらえるようにフリガナを振ったのが絶対原因である。古より伝わるオールナイトニッポンの下ネタに巻き込まれてしまったのだ。恥ずかしすぎてさっきより体温が上がった。この誰かに話したいけど話せない感覚ってなんだろう。このふたりとくだらない秘密を共有してしまった感覚。よろこびと寂しさと恥ずかしさ、あれが確か社会と繋がるってやつだった。

いまや魂ラジの番組ブログも姿をくらまし、音源もどの回か忘れたけど、あの頃、ラジオを聴きながら社会と繋がってしまった瞬間に飛び上がりカセットテープを差し込み録音ボタンを押すまでの10秒弱は、さっきメールを読まれたくらいに鮮明なのだ。そしてそれはあの小さな町小さな学校のコミュニティでほとんど誰にも知られなくても心から満たされるような体験だった。

あの日送ったメールは回り回って世界の何処かにあるくだらないことを回転させることでエネルギーを生み出す塔に組み込まれ社会を少しだけくだらなくしたのだった。竿浦から地球の裏へ。んな、アホなバタフライエフェクトあるか…と思うかもしれないが、多分あるのだ。そう思っていたい。

(桑田さんのやさしい夜遊びに音楽の質問メールを送って読まれたのもちょうど近い時期だった。ちなみに荘口彰久さんは5/19産まれ。同じ誕生日である。)


よろこびと寂しさと恥ずかしさ。
きっとこれを忘れなければ必ず繋がれる。
共にひとりぼっちになれる音楽へ辿り着きたい。


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