緑の路地(前編)
これまでの人生で通ってきた幾つもの道のうち、僕がその印象を強く胸に抱き続けているものが二本ある。一つはスペインのサンチアゴ・デ・コンポステッラを詣でる巡礼の道で、もう一つは(「道」というよりは「路」なのだけれど)僕が7歳の頃に住んでいた家の近くで通りかかった弁当屋の横の路地だ。
弁当屋の名前はもう忘れてしまったけれど、たしかキウイとかマスカットとかそういう爽やかなフルーツの風味の記憶がある。その弁当屋の商品を買ったことがあるかどうかは全く覚えていないけれど、何故かいつもその弁当屋を思い出すときは「唐揚げ」や「海苔弁」や「焼き鯖」ではなく、店名と共にフルーツの酸味を思い返したことだけはよく覚えている。果たしてそれが、弁当屋という商売において有効な店名の付け方なのかどうかは、ぼくのあずかり知らぬところである。
とにかく、僕が小学二年生の頃に毎朝毎夕学校まで通う際にその目の前を通っていた弁当屋の名前は果物の名前で、いつも年老いた女性が二人で仏壇の供え物を取り替えるような手つきで弁当を作っていて、油の匂いがぷんと通りにはみ出していて、横の路地の奥は真っ暗に霞んでいた。
その路地は、僕が学校通いの際に通る朝でも夕方でも、そしてたまに母と出かける休日の昼間においても、いつだってその奥が見渡せぬほどに真っ暗だった。大人になったいま(僕だってもう40を超えているのだ)思えば、通りの上に木がせり出していたとか、弁当屋の空調設備が覆いになっていたとか、そうした原因があったような気がしないでもない。ただし当時の僕はまだ1メートルそこらの小さな少年で、この世の出来事のうちの1割だって知らない、乾電池の単4と単3の違いもろくすっぽわからなかったのだ。
しかしある日の夕方の帰り道のこと。おそらくは(僕には珍しく)近所の公園で野球か何かに興じて比較的帰りが遅くなった日のことだった。僕は緑色の長袖トレーナーを着ていたのをよく覚えているいる(というわけは、じきに明らかになるのだけど)から季節は秋頃だったと思うが、その弁当屋の路地の奧に一点の灯りがついているのを見つけた。
普段はまったき暗闇に包まれている路地の奧、そこには弁当屋の灯りよりも小さくかすかな、しかしどうしてもそこに視線を引き寄せられてしまうような、瞳を射るような力がある灯りが存在していた。
僕は路地の入り口に立ち、弁当屋の老婆たちが僕に注意を向けていないかどうかを確認した。路地が家屋の入り口になっていたわけではない(と、子どもながらに考えていただけということなのだが)から家宅侵入にあたるとかそういうことを考えたわけではない。何しろうちの近所のガキどもは、他人の家だろうが工事現場だろうが軍の基地だろうが平気で立ち入ってしまうような奴らばかりだった。老婆はあいも変わらず粛々と鮭だか鯖だか鰊だかを盛り付け続けていた。僕はそうして彼女たちが弁当づくりに集中していることに安堵した。「これから行うことは誰にも見られてはいけない」。そういう直観が、僕のうちにはたらいていた。
(緑の路地/A Green Threshold)
※後半はまた今度※