スーパーマーケット・エレジー
買い物の量はそのまま、帰り道で母と手を繋げるかどうかに直結していた。つまりあまりに買い物の量が多いと母は両手で買い物袋を下げることになり、僕の手を引く余裕のある手がなくなってしまうのだ。
まだ幼い僕にとって、この問題は世界趨勢の大多数を占めるほどに重大なものだった。
三十も超えた今、自らも買い物後に息子の手を引きながら歩くようになってからは、買い物後の疲弊した精神のなかで子どもの手をひくことの大変さのようなものがわかってきた。牛乳パックを二本入れた買い物袋は重く、反対側の手を縦横無尽に引きまくる2歳児の手はさらに重い。
僕が3歳か4歳か、あるいは5歳の頃だったか(その頃の子どもというのは、およそ大人たちが辛酸を舐めるこの世とは別の時間軸で生きているものだから)。そうした買い物袋問題に終止符をうつ出来事があった。我が家に自動車がやってきたのだ。
金銭的に車を買う余裕がなかったのか、車なんてそもそも必要がなかったのか、あるいは母がそもそも免許というものを持ち合わせていなかったのか、それは幼い頃の僕のあずかり知らぬところではあるけれど、とにかく我が家に車がやってきた。僕にはそれが立派な乳牛2頭くらいは簡単に運べてしまうような大きな車に見えたけれど、今考えてみれば普通のファミリー・カーだったのだろう。
車の到来は、僕と母の手繋ぎ問題に終止符を打った。スーパーマーケットのレジを通る、買い物袋に詰める、店を出る、車へ乗る。完璧な、美麗な6-4-3のダブル・プレーのようにスムースな流れがそこにはあった。手を繋ぐ合間などそこには存在しない。
もちろん僕がちょうど、母と手を繋ぐ必要がなくなった年齢に差し掛かっていたということもあるかもしれない。あるいはあの、2頭分の馬鹿でかい牛が乗りそうなファミリー・カーは、そうした幼少期の過渡期を象徴する存在だったのかもしれない。
何にせよ僕は、今もスーパーマーケットに行くたびにあの頃の愛慕にも焦燥にも似た感情を思い起こす。そしてその度に、スーパーの帰りに持つ袋というのはどうしたってプラスチックバッグでなければいけないと思う。プラスチックでできたレジ袋の持ち手が手のひらに食い込む痛みだけが、僕にあの頃の焼け焦がれる想いを取り戻させてくれるのだ。
(スーパーマーケット・エレジー)