「中村倫也の弟」という呪縛。そして呪縛から開放。な話。
こんにちは、たんぱく剛士です!
たんぱく剛士という名前は占い的に良くないらしく、蛋白剛士ならめっちゃ運勢的に良いっぽいです。(誰得情報をあえて文頭におく。)
んー、蛋白剛士はちょっと嫌だなぁ。
なんか、清潔感ないよなぁ。
はい。
今日は、
タイトルの通り、
「中村倫也の弟」という呪縛
についてです。
先に言っておきます、
中村倫也(りんや)は僕の兄貴のことです。
中村倫也(ともや)ではありません。俳優ではありません。
格闘家の倫也です。
これからスターになるからチェックしてくれさい。
僕には3つ上の兄貴、中村倫也がいます。
地元や、僕の周りの人間、格闘関係者なら知っていると思いますが、
昔からスターなやつ。
レスリングが強いことはもちろん、
漫画の主人公キャラ的な性格で、
カリスマ性、スター性、
人を惹き付ける才能が昔からあります。
僕は、そんなスター性の塊な兄の3つ下の弟の、
「中村剛士」
そう俺は、中村剛士。
だけど、昔から俺は、もう一つの名前がありました。
それは、
「中村倫也の弟。」
中村剛士と、中村倫也の弟、
という2つの名前を持ちながら生きてきました。
スターな兄弟を持つと分かると思いますが、
スターなやつの兄弟は、
「〇〇の弟、兄」
として生かされることが多くなります。
これは、
同じ競技や、同じ習い事等をしていればなおさら。
常に比べられ続け、優越をつけられる。
そして、この戦争に負けた方は、
「〇〇の弟、〇〇の兄」
という名前がつく。
僕は「中村剛士」を失い、
「中村倫也の弟」になることがすごく嫌だった。
だって俺は、中村剛士だもん。
中村剛士として存在し続けるには、
中村倫也が出す競技の結果と近いものや、
超えることが必要。
しかし非常にもあいつは、
俺が中村剛士で存在する為の線引き(結果)を、
いつもとんでもなく高いラインで引いてきた。
あいつは小学校、中学校、高校、大学、全日本、国際大会の全てで日本一、世界一を経験し、優勝してきた。
そんな高いラインを常に引いてくる兄貴に対して、
嫉妬、悔しさ、羨望、憧れや誇らしさ、嬉しさ、焦り。
みたいないろんな感情が多様に混じり合ったものを兄貴に対して持っていた。
心のパレットにいろんな色をごちゃごちゃに混ぜたような感情。
けど、なんやかんやで僕は兄貴と勝るともそこまで劣らないような結果を大学2年まではなんとか残してた。
しかしそれでも昔から僕は、
中村倫也の弟で生かされることが多かった。
何故か。
それは上記にも書いたような、
スター性 カリスマ性、
人を惹き付ける力に差があったから。
この力を兄貴に生み出していた要素として、
・目標、目的に対して一切ぶれない真っ直ぐな生き方。
・他人じゃなくて常に自分にフォーカスが当たってるような生き方で、常に自分が主人公。
・どんなに高い障害が生まれても圧倒的努力で壁をぶち壊すような努力家であり、
そしてそれらを表に出さないような生き方。
・他人に優しく、 自分に厳しくを体現する生き方
などのような、
中村倫也という人間としての生き方に魅せられ、惹きつけられる。ということがある。
ここに自分と兄貴では差があったのだと、
今ならわかる。
兄貴が大学2年のときに全日本大学選手権を優勝し、
俺も同じ大学2年のときに同大会で優勝した。
兄貴はその後、全日本、国際大会で優勝し、順調に結果を残していき、
俺はその後大学の試合で、表彰台にも上がれない時間を過ごした。
中村剛士はより一層、
「中村倫也の弟」に飲み込まれ支配されていった。
支配されていくうちに、
焦り、悲しさ、嫉妬などのネガティブな感情がどんどんと広がっていった。
しかしそれは兄貴に対してではなく、
自分に向いていた。
兄貴が結果を出して俺が結果を出せないほど、
強烈な自己否定をするようになった。
大学3年のある事件をきっかけに、
日記を毎日書くことにした。
このnoteの記事にも詳しく書いた、
幸せ日記だ。
この日記を書いていく中で、
自分と見つめ合う時間ができた。
感情が整理され、
自己の分析などを通してついに俺は、
中村倫也の弟という呪縛から開放された。
日記や自己分析を通して、
俺がレスリングをやっている理由ってなんだ??
俺が生きてる理由ってなんだ??
と改めて考えて、
兄貴と比較される為?
兄貴と自分を比較する人の為??
周りに俺は中村剛士だとアピールする為??
あ、違う。
単純にレスリングが好きだから。
結果を出して応援してくれてる人に恩返ししたいから。
何か目標に向かってひたすら努力するこのプロセスが面白いからだ。
と改めて気づきました。
僕は昔から兄貴と比べられて生かされてきたから、小さい頃から周りの人間からの評価や他人の思考を常に気にしながら生きてきた。
人からの評価、人が自分に対して何を考えているかが常に気になる。
そんな性格な人間に育ちました。
だから変に人に気を使ったり、
「今この人何考えてるんだろう」と考えすぎたり、心を本当に開くのに時間がかかったり、
人の事を考えなくて良いから一人で行動するのが好きだったり。
僕を知ってる人ならもしかしたら、
お前が??
そうか??
って思う人もいるかもしれない。
それは、
俺自身がこの性格や思考が嫌で、
この性格を変えたいと感じて常に生きてきたから。
だから、そうゆう風に自分が見られないように長年生きてた気がします。
人の性格や心は表裏一体であることは、
自分自身でよーく感じています。
中村倫也の弟ではなく中村剛士でありたいという強い意識は僕を異常に人目や評価を気にする人格へと僕を変えていき、
いつの間にレスリングをする目的や、
なんの為に生きているのかなどの自己理解、
価値観を曇らせ、見えなくさせていました。
これらのことに改めて自分と時間をかけて向き合うことで、 心の底から気がつけました。
そして 僕は、
「中村倫也の弟」 という呪縛から開放されました。
「誰かと比較される為に生きてるわけじゃない」
「誰かに評価してほしくて、行動を起こすわけじゃない」
ただ単純に、純粋に、
それがやりたいから、
楽しいから、
目標に向かってくプロセスが楽しいからやる。
そんな本質に気がつくのにとても時間がかかってしまいました。
だから僕は今、
自身の価値観を把握すること、
それをコンパスに人生を生きることを大切にしています。
無意味な相対性からの脱出を心がけながら生きることで、
中村剛士という生き方を貫き通す、
なりたい自分になる、
自分が生きたいように生きる。
みたいな生き方が、
ナチュラルに自然と出てくるようになりました。
〈2023年1月記述 兄貴と比べることはやめられたことは確かだったが、人生の中にヒエラルキーが強く存在する価値観は残っていたので後にまた心がけぶっ壊れました。後のノートに書いてます。〉
そんな過程を経て現在、
呪縛から開放された俺は、
中村倫也の弟という名前や人格を受け入れて、
共存してます。
呪縛から開放されたことで受け入れることが出来るようになったのです。
今では中村倫也の弟であることが誇らしく、
なによりも自慢。
大学四年位からは、
俺は勝てなくてもいいから、
あいつに勝たせてくれ。
なんて思ったりもしてたくらいです。
(アスリートとしては失格や。 笑)
トップアスリートの人たちは、
結果を出すことが一番大切だから、
結果にこだわるということはすごく良く分かります。
けどそれはスポーツを通して獲得したいことの、
あくまで手段の一つで、
本質ではないことを忘れないでください。
(結果が全てでは無い。とかそうゆうことを言っている訳ではありません。)
さてさて、
今日は中村倫也の総合格闘技格闘技プロデビュー戦。
寝技、 パウンド、打撃のどらかしらで衝撃デビュー戦を飾るで しょう。
それじゃ、応援行ってきます!
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
PS このノートの記事を書き上げたのは兄貴の試合前ですので、 最後らへんは時系列が少しおかしくなってます。 笑
色々あって試合前に投稿できんかった。笑
兄貴は無事勝利しました。 左ハイキックで。
つまり、
りんやクロコップ。