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小説を書くハードルがグンと下がる執筆方法3選

小説の執筆に取り組んでおられる方、あるいはこれから小説を書いてみようと思っている方にとって、小説はいざ執筆するとなるとなかなかにハードルが高いものである。
執筆しようにも、失敗したらどうしよう、面白くならなかったら執筆時間がムダになる、いい書き出しが思いつかない……などといった悩みが頭をもたげ、その不安が恐ろしくて、どんどん膨らんでいき、ついつい二の足を踏んでしまい、いつまでも書き出せない……ということも多いのではないだろうか。

今回は、不安や恐れを感じてしまって小説をなかなか書き出せない方に送る、執筆のハードルがグングン下がる、こんなやり方もありなんじゃないかという、よく使われる小説作法を3つご紹介したいと思う。

方法1:「セリフだけを先に書き上げ」、後で地の文を書く。

小説執筆のハードルを上げている大きな原因は、「セリフ」と「地の文」の両方をいいものにしなければならないこと、そして執筆のときは両者を一度に書かなければならないということである。

人によって違いはあるかと思うが、「セリフ」を書くときの頭の使い方と、地の文を書く時の頭の使い方は同じではない
つまり、小説を書くということは、頭の使い方の異なる2つの作業である「セリフ」と「地の文」の執筆を同時にこなすということである。
執筆に慣れているプロならば難なくこなせることかもしれないが、機械的な作業ではなく、クリエイティブな作業を2つ同時に行うのは、当たり前の話だが非常に困難な作業なのだ。そう、難しくて当然なのである。

映画やアニメーションなどの映像媒体の作品の場合、「セリフ」に当たる作業工程である「脚本づくり」と、「地の文」に当たる「映像演出(カット割り、構図、カメラワークなど)」はそれぞれ別のスタッフが担当する。通常は脚本家がシナリオを、映像を監督や演出家が担当する。また演技面を担当するのは役者だし、VFXなどは特撮、CGの専門のスタッフが手掛けていく。もちろん、1人で脚本も書き、演出、撮影、さらには主演までこなす映画監督もいるだろう。しかし、その作業を同時に行うことはなく、必ず脚本が仕上がってから、撮影することがほとんどだ。

つまり、「セリフ」と「地の文」は異なる内容の作業であり、他のメディアでは別々に分けて行うことが多い作業なのである。

それをふまえて、小説を書くうえでも「セリフ」と「地の文」の2つの作業を分けて執筆すると、作業のハードルを一気に下げることができる。要は、1つの作業に集中できるからだ。

作業の具体的な方法は次のとおりである。

手順1.まず、「セリフだけ」を先に書き上げる。(※場面設定や最低限のト書きは書いてもいい)
手順2.その後で、必要な箇所に「地の文」を書いていく。
手順3.セリフと地の文の整合性、読みやすさ、テンポ感などを確かめながら、全体を調整し、仕上げていく。

執筆では、「いい文章を書かなければならない」といった小説としての心配などを一切無視して、生き生きとしたキャラクターのセリフ、会話のやり取りの面白さを描くことに集中して、脚本でも書くかのごとく「セリフのみ」を書き出してしまおう。

そして、セリフが書き上がったら、落ち着いてゆっくりと地の文を書いていこう。セリフはもう、それなりの水準のものができている。ストーリーの流れもセリフによってつくられている。だからこそ、地の文に集中できるのだ。あなたらしい文章を書くことだけに集中できるからこそ、より良い文章を書くことができるメリットが生まれる。

これは頭の中に浮かんだ映像を文章にして表現しているタイプの人にとっては、できあがった映像作品を「ノベライズ」している感覚に近いかもしれない。

また、地の文を書いていると、事前に書いたセリフそのままでは上手くいかない部分が見つかる。その場合は、地の文に合うようにセリフを手直ししたり、膨らませたり、逆に削ったりしながら全体を整え、手仕上げていこう。

方法2:「シーンの断片」をどんどん書いて、それらをつなげる。

この方法は、『銀河英雄伝説』や『アルスラーン戦記』、『創竜伝』などで人気の小説家田中芳樹氏が使っている方法である。

その方法とは、小説を頭から順々に書いていくのではなく、ストーリーに関係なく、物語の途中の「頭に浮かんでいる断片的なシーン」をいきなり書いてしまうという方法である。そして、1つの断片的なシーンが書き終わったら、次に浮かんでいる別の断片的なシーンを書き出していき、いくつかの時系列がバラバラの断片的なシーンのストックが集まってきたら、それらの順番を考えながら並べて、その間をつないで物語にしていくのである。

作業の具体的な方法は次のとおりである。

方法1.キャラクターやストーリーなど関係なく、考えずに(キャラクターやストーリーをつくる前に)、頭に浮かんでいる作者が書きたい断片的なシーンやセリフ、地の文を小説の形に、またはセリフのみの脚本形式でとにかく書き出す。
方法2.頭に浮かんでいる書きたいシーン片っ端から書き出していき、いくつかの「断片的なシーンのストック」を貯める。
方法3.断片的なシーンをもとに人物を考えながら、書き出した断片的なシーンとシーンの間を繋げて、ストーリーを完成させていく。

この方法のいちばんのメリットは、「自分の書きたい部分から書ける」ということである。つまり、美味しいところ“だけ”を書いていけるのである。その作業は楽しく、ハードルは際限なく下がるだろう。誰でも、このシーンだけは書きたい、このやり取りだけは書きたいという部分がある。作品づくりでは、そんな作者がどうしても書きたいことをいかに上手く物語に盛り込んでいくかが求められるが、それを逆手に取ってまず作者がどうしても書きたいシーンや頭に浮かんだ何の脈絡もないけど興味がそそられるシーン、面白そうなシーンを先につくっておき、あとはそれをつなげるだけである。
執筆のモチベーションが高い「書きたいところ」が書ければ、あとの「それほどでもない部分」を書く際にも、書きたいところを何とか活かせるように物語をつくろうというモチベーションが生まれるはずだ。
ある意味、とても合理的な方法である。

方法3:「練習」だと思って書き上げて、後で直す

これは、筆者の書籍やこのnoteでも度々述べている「練習だと思って書く」という方法である。

いい作品を書かなければならない、絶対に賞を取れるような作品を書かなければならないという気持ちは、小説家を目指して努力している人だったら誰もが抱く気持ちである。これはとても自然なことだが、この気持ち、不安、恐れがあまりにも大きくなってしまうと、執筆の失敗、駄作になるのを恐れて小説が書き出せなくなってしまう。そうなると、作品の出来不出来という問題以前に作品がつくれなくなってしまい、それによってさらに追い詰められなお一層失敗を恐れる不安が大きなものとなり、最悪メンタルのバランスを崩してしまうことも起こり得るだろう。

そういう時にいちばん有効なのは、傑作を書こうとはこれっぽっちも思わずに、小説を書く「練習だと思って、習作だと思って」書いくことである
失敗しようがうまく行こうが関係ない。なぜなら、練習だからだ。
むしろ「よし、駄作を書いてやろう!」というぐらいの気持ちでもいいかもしれない。その方が肩の力が抜けて、本来あなたが持っている強みや味わいが自然に発揮されることにつながる
とにかく、どんな形でも、荒削りでも、不完全な部分があっても、つまらないと感じる部分があってもいいので、一度最後まで書き上げてしまうことである。

ぶっちゃけ、作品作りは面白いか面白くないかは問題ではないのである。まず「完成させること」を目標に淡々と書き上げていこう

ただし、完成させてそこで終わったら、本当に練習、習作レベルの作品しかできない。
作品づくりは、できたらそこで終わりではなく、その後で「直す」ことがもっとも大事なのである! 
ある意味、始めに執筆するよりも、直しの方が大事といえるのだ!

なぜかというと、他著でも述べたが、作品というものは一発で完成品が出来上がることはまずない。それは奇跡に近いことである。極稀にそういう作品があっても、必ず何らかの直しは入るはずだ。そう、プロは何度も直して、作品をブラッシュアップして面白さを高めて仕上げていくのである。
直しをせずに、つくったっきりでは確かに駄作、習作、練習だが、それをさらに磨きをかけ、上手く行っていない部分を直し、完成度を高めていけば、必ず良い作品になる!
少なくとも、プロはそうして作品を書いている。

直しに関連して、この「練習だと思ってとにかく完成させてしまう方法」には、大きなメリットがある。それは、「一度完成してしまうと、作者は驚くほど冷静に自分の作品を見ることができるようになる」ということである。

作品を書いている時に上手くいかない、なんかつまらない、納得できない部分があっても、なかなかそれを改善する方法が見つからず、多くの時間を費やしてしまうことがままある。しかし、上手くいかず不完全な出来でも一度完成してしまうとその問題点を冷静に分析でき、どこが問題でそれをどのように改善すればいいのか、その改善法が手にとるように分かるから不思議だ。
「とりあえず完成しているゾ」という安心感があるのも大きい。作品が一度できあがることで心配や不安は影を潜め、代わりに「もっとこうすればさらに面白くなるかも」という前向きな考えや意欲が湧き上がってくるだろう。

また、作品が最後まで仕上がっていれば、「人に読んでもらえる」というメリットもある。家族や友人などに読んでもらって感想をもらうのは、非常に大きな利点がある。自分では気づかなかったところも指摘してもらえたり、生の感想を聞けることでその作品のどこが上手くいってどこが上手く行っていないのかを客観的に理解する大きな助けになるだろう。

「小説は、完成させてからが本番である!」

この言葉を胸に、執筆に励んでいこう。

いろいろな執筆方法があっていい!

これらの3つの方法を「邪道だ!」という人もいるかも知れない。小説はこう書かなければならない、こう書くべきだ、と考える人もいるだろう。
しかし、もし執筆のハードルが高いと悩んだら、これらの方法を試すと何か解決の糸口を掴めるかもしれない。
執筆方法は、いろいろなものがあっていいのである。

同様に、小説とは高尚なものでも低俗なものでもなく「クリエイティブで自由で多様なもの」である。内容も表現形態もさまざまであり、どのジャンルが優れ、どのジャンルが劣っているなどと考えるのは無益である。よくライトノベルは低俗なもの、一般文芸こそ小説、いや純文学こそ小説だと考える御仁と出会う。では、子どものためにつくられたジブリ映画は低俗で観る価値のないものなのであろうか。

だから、自分はこのジャンルしか描かない、このジャンル以外の作品は参考にならないし、読む価値もないという自分の好みや考え以外を否定することは、自分で自分の可能性を狭め、潰しているに等しい。
もしかしたら、自分でも気づいていない得意ジャンルがそこに見つかるかもしれないからだ。そのためには、変な偏見やこだわりを捨て、広い視野で柔軟に考えることが大切である。

いろいろな執筆方法を試してみると、もしかしたら今の方法よりも自分に合う方法が見つかるかもしれない。どんなつくり方をしようと、結果的にいい作品ができればそれでいいのである。

また、他の表現媒体で活用されている創作法は、ほとんど例外なく小説執筆に役に立つ。どんなことでも、執筆に役立つよいものなら取り入れ、応用、活用していこう。

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