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陶芸をこころざすきっかけになったコト・・・

陶芸作家の保立剛です。

一面の田んぼ、私が生まれ育った町、千葉県香取市(旧小見川町)の風景です。朝靄の向こうには、うっすらと台地が見えます。

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北側には日本最大の流域面積を持ち日本第2位の長さを持つ一級河川「利根川」が流れています。

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こちらは、その利根川の支流「黒部川」市内を流れこの10kmほど先で合流しています。

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空から俯瞰してみるとこんな感じです、地図左上にある「小見川JR」が小見川駅でその北側に中心市街地が広がります。南側には高台は水田地帯が広がり、緑の部分のところに台地が点在しています。

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さらにもっと上空から俯瞰してみると、薄い緑のところはほぼ平地で利根川や多摩川などによって平野が広がった様子が見てとれます。

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時を紀元前5000年前に戻すと、こんな感じになるそう。海水面が今よりも15m以上高くなっていて、現在、田んぼになっている土地は海で、台地に沿って海岸線が広がっていたようです。

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なにも遊ぶ場所のない田舎の子ども遊び場は、近所の神社か山ぐらいしかありません。当時、小学生だった私は山の中の畑で小さなカケラを拾いました、これが土器の破片だと知ったのは後に歴史を習ってからのことです。

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小見川町阿玉台地区から出土したので、阿玉台式土器と言うのだそうですね、私が拾ったカケラもこんな形をしていたのでしょうか?当時は畑の畦道にたくさん落ちていました、お百姓さんが脇に集めてたのかもしれません。

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山肌には貝殻も落ちていました、貝塚です。この阿玉台貝塚は近くにある良文貝塚と一緒に、縄文時代の貝塚で国の史跡に指定されています。貝殻の層は3mにもおよぶとのこと、縄文の皆さん貝が好きだったですね〜。

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画像不鮮明ですが、こんな土器も出土、なにに使われたのでしょう?香炉型顔面付土器と言うんだそうですが、名前にロマンはありませんねー。

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この阿玉台式土器の特徴は、表面にところどころきらきら光る粒、雲母だそうです。装飾のために入れたのか?耐火性を増すために入れたのか?雲母は遠く筑波山から運ばれたとのこと。

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こんな環境に影響されたのか?山から粘土を取ってきて土器を作って遊んでいました。お風呂当番を命じられていた私は、できがった土器を釜(そのころの風呂は薪だったのです)で焼いてみました。

が、もちろん水分でいっぱいの土器は、爆発してあっというにまに粉々です、これが私にとって初めての陶芸体験だったようです。

そんなわが町、小見川町は合併して香取市に変わり、人口も現象傾向で、すっかりひっそりとした町になっていまいましたが、縄文時代には多くの人々が暮らしていたのかと思うと不思議な気持ちになりますね。


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