ラグビーが教えてくれたこと7
【自分がどうなりたいのか、抽象的な目標も大事だし、何を成し遂げたいのか、具体的な目標を設定することも大切。そのために自分がどうするべきなのか、具体的に計画をたてて実行して行くことが大事。】
でました、
「自分がどうなりたいのか」
よく聞くワードですよね。
将来的に自分がどうなりたいのか、ということは、言い換えると個人の人生の長期的目標になるのかな。そこは抽象的なものになると思います。
その道筋の中にラグビーというものがあって、ラグビーの中での具体的な成し遂げたいことがあって、そのために具体的な短期的にクリアしないといけない目の前の目標があって、というように考えることができるようになったのも、ラグビーやってきたからこそ身についた考え方かもしれません。
じゃあ自分がどうありたいかって、いつから明確に言語化して持っているべきなのかって、正直、わかんないです。
普通だったら、(普通がなんなのかわかりませんが)
例えばラグビーをやっていく中で、長期的・中期的・短期的と、順を追って具体的な目標を設定していくパターンが多いのかもしれないのですが、
こと「自分がどうありたいか」という抽象的で超長期的な人生の目標的なものが入ってくる場合には、必ずしもそれを一番最初に設定して、その後に、するスポーツを選んでっていうのは、難しいのかなと思います。
その点、スポーツ選手って特殊なのかもって今初めて思いました。
なぜなら、自分は大学4年(3年の終わり頃から)の時に就職活動もしたことがあるのですが、
それまでの自分というものに向き合って、自分なりに自己分析というものをして(今考えたらこの時の自己分析はめちゃくちゃ浅かったな・・)、
自分はこうなりたいんです。それが実現できるのは御社しかないんです!
的な感じで自己アピールをしていったかと思い出します。
これは、
「自分がどうありたいか」(人生の抽象的な長期的目標)→「それを実現する会社」(手段)→「会社での仕事の目標」(長期・中期・短期)
のプロセスがあるのかなと。
一方で、スポーツ選手の場合、
社会人になる前に自己分析をしてから種目を選んで・・・
とするわけではなく、
たいていの場合、幼い頃からだったり学生の頃からの延長戦で続けているため、その種目を選んだプロセスっていうのは、手段を選んだっていう感覚がないんですね。
そこまで自分とは深く向き合ったりする前に選んだ道だから、こうなりたいからこう、というより、もっと感覚的なものがあると思います。自分の中にあるワクワクなアンテナが呼ぶ方向がそのスポーツだったり、好きな選手がいたり憧れの選手がいたり、選んだ理由はさまざまです。
ただ、感覚的であるがゆえ、そこの言語化をすっ飛ばしているので、アスリートは大人になってから、
あれ、なんでおれってラグビーやってんだっけ?自分ってどうなりたいんだっけ?
みたいなことを考えることが多かったりするのかなと。
それは、なにも、やってる意味がないというわけではなくて、
例えば競技を始める時に感じた心の動きだったり、どんな人に対して憧れを抱いていたのかだったりっていうところにヒントが隠れているのかなと。
ラグビーをやっている理由も、自分がどうなりたいか、というのも、自分の中に必ずあるはずです。
なので、その時その時の自分で道を選ぶ時の心の動きとかを後から紐解いてみたら、自分のなりたい姿がみえてくるのかなと。
あと、就職活動している人がじゃあみんな自分を理解しているのかといっても、そうではないと思うし(実際に僕がそうでした)
100年ある人生の中の最初の20〜30年でそんな像をハッキリと決めなくてはならない、とも思わないです。本を読んだり人と話している中で、「それ!自分の思ってたこと!」って出会うこともありますし、その時の自分の心の動きを敏感にキャッチできたらいいのかなと。
そこを理解できた時、その時にやっているラグビーなり仕事なりが、そのための手段に過ぎないことに気づいたりします。
そうわかったら、あとはとことん書くことがいいと思います。
目標達成に向けた道筋を目に見えるように書くことは、道中で迷いそうになって時の地図になります。
なんのためにやってるんだっけ?
の迷子から、戻ってこれる地図。
「そうそう、そうだった。」
なのか、
「ん、これは違うな。」
なのか。
ということで、はい、ここからようやく僕の話。
「とにかく日本代表としてワールドカップにでたい!」
と強く思っていた時、そのために自分が何をするべきかを明確にして行動していました。
まずは国際レベルの強く動き続けられる身体を作らないといけない。
ボールキャリーとブレイクダウンとタックルの精度と強度とそのワークレートを高めること。
そのための各セクションでスキルレベルをあげること。
など。
ただ、日本代表なんて、自分でなりたいと思ってなれるものではありません。当時のヘッドコーチのエディ・ジョーンズに選んでもらえないと、そこには辿り着けないわけです。
僕は、
日本代表になるために自分に足りないものは何なのか、どうすればなれるのかを聞きに行き、その与えられたハードルの高さに若干ひるみながらもファイティングポーズを取り続け、取り組んでいました。
ただ、いくら自分のベストを尽くしても怒られる。帰れと言われたり、それは全力じゃないと言われたり、それは怪我じゃない痛いだけと言われたり、いろんな意味で自分の常識がぶっ壊された、今となっては本当に最高の経験をさせてもらったなと思うのですが、その当時、ふとある時に気付いたんです。
エディに怒られないように、褒められるように過ごしている自分に。
あまりにも毎日怒鳴られまくってたし、それが僕の精神を蝕んでいたことも確かでした。それでも、自分は期待されているんだとポジティブに捉えてその時その時を必死に乗り切ってました。
でも、ふと、何でこんなにきついことやってんだ?なんでワールドカップ出たいんだっけ?
と思った時に、自分がラグビーをやっている理由も考えさせられました。
その時の2015年のワールドカップでは「日本ラグビーの歴史を変える」という大義があったのですが、僕にはそんなことを考える余裕もなく、ただただ、ワールドカップに行きたかった。自分自身の大義も明確にない僕にチームの大義なんて全然ピンと来ずに過ごしていました。
選ばれたい。怒られないように。
そんなことばかり考えて、チームのためにフォーカスできていなかったことが、きっと目に見えてわかっちゃっていたんだろうな、と今になって思います。
ただ、今になってそう思えているから、結果として良い経験ができたなとは思います。正直あんな極限な状況、これから先もあるのかわからないし。
はい、そんなことで、
目標達成のための計画を立てていくことの大切さは、僕はラグビーから教わりました。
今回は少々長くなりましたが、
そんな話です。