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この世界は、生きるに値する。米津玄師『LOST CORNER』に貫かれた揺るぎないメッセージについて。

【米津玄師/『LOST CORNER』】

米津玄師の音楽家としての歩みを遡ると、彼は10代の頃にバンドを組もうとして挫折した経験がある。そして米津は、ニコニコ動画という空間に自らの居場所を見い出し、2009年、ハチを名乗りボカロPとしての活動をスタート。やがて、”マトリョシカ”、”パンダヒーロー”をはじめとするボカロ史に残る楽曲の数々(殿堂入り6曲、伝説入り8曲、神話入り3曲。)を一人で投稿していく。本名も顔も明かさない形で活動を続けていたこともあり、当時の米津のことを知る人の中には、彼に対して孤高の天才というイメージを抱いていた人が多いかもしれない。

ニコ動の中で確固たるポジションを確立した米津だったが、しかし彼は、その世界で安住することなく活動を次のフェーズへと移していく。大きな転機となったのは、本名と素顔を明かし、自分の声で歌う覚悟を決めたことだ。2012年、本名名義の、つまり、米津玄師としての最初のアルバム『diorama』を発表。たった一人で同作を作り終えた彼は、その後、まるで何かを悟ったかのようにして、他者とのコラボレーションを通してより開かれたポップ・ソングを追求する道へと向かっていった。つまり、キャリアの極めて早い段階で、その溢れ出る才気を、自己表現を突き詰めるためではなく、他者と共に、そして、他者のために活かすことを決めたのだ。かつて、他者との共同活動であるバンドに挫折した米津だったが、彼は、音楽を通して人と繋がることを諦めなかった、ということなのだと思う。

次第に米津は、現在に至るまでずっと変わらないバンドメンバーと共にライブ活動を始め、また、自分以外のミュージシャンやプロデューサーとのコラボレーションにも果敢に挑み始めていく。プロデューサーとして蔦谷好位置を迎えた2014年の楽曲”アイネクライネ”が象徴的なように、他者の視点を自らの内に取り込み、また、他者を経由することで改めて自身の輪郭に対する解像度を高めていった彼は、その後、もともと誇っていた時代の普遍性をシャープに射抜く力にさらに磨きをかけながら次々とヒット曲を連発し、日本の音楽シーンにおける存在感を高め続けていく。また、"打上花火"や"灰色と青(+菅田将暉)"をはじめ、他のアーティストとのコラボ曲に立て続けに挑み、自らの音楽に他者性を積極的に取り込むことで、自身の表現を際限なくアップデートし続けていく。(2017年の時点で、まだ名を大きく轟かせる前の常田大希を”爱丽丝”でフックアップしていることも重要なポイントである。)


何よりも特筆すべきは、彼はそうした歩みの中で、メジャーアーティストとして数々のタイアップ(言い換えれば、他のクリエイターが生み出した作品とのコラボレーション)を真正面から引き受け続けてきたことだ。彼は、数々のタイアップを通して、自己の世界と他者の世界の重なり合いの中に自らが表現する必然性を見い出しながら、深く時代と呼応するポップ・ソングを次々と生み出してきた。そして、その過程の2018年に生まれたのが、彼の認知と支持を国民的レベルまで一気に引き上げた稀代のポップ・ソング”Lemon”である。

自己を超えて、他者へ、普遍へ。それは、ポップ・ミュージックの本質的な理念そのものであり、音楽を通したコミュニケーションの可能性を信じて、他者と繋がり、広く開かれた世界へ向けて音楽を鳴らしていく彼の姿は、まさに、ポップ・ミュージックの可能性の美しき体現者のように思えた。たった一人で創作活動を始め、やがて、国民的な支持と期待を背負うポップ・ミュージシャンへ。断言してもいいが、これほどまでに鮮やかなキャリアを歩むアーティストは、それまでの日本の音楽シーンに存在しなかった。

今から4年前、2020年の夏にリリースしたアルバム『STRAY SHEEP』は、コロナ禍という未曾有の混沌の渦中で完成を迎えた作品だった。誰もが、終わりの見えない混沌の日々の中で、迷いながら生きている。米津は、その混沌の中に一つの普遍を見い出し、「迷える羊」と題したアルバムを世に送り出した。”Lemon”をはじめとしたタイアップ曲をいくつも収録した同作は、あまりにも偉大なキャリアの到達点かのように思えたが、しかし彼の歩みは、その後、誰も想像しなかった壮大なスケールの中で続いていくことになる。


『STRAY SHEEP』以降も、タイアップというテーマは、彼の創作活動の核心であり続けていた。次第にコロナ禍を抜け、かつての日常が私たちのもとに戻り始めた2021年以降の数年の中で、米津は、『シン・ウルトラマン』(”M八七”)、『チェンソーマン』(”KICK BACK”)、『FINAL FANTASY XVI』(”月を見ていた”)、『虎に翼』(”さよーならまたいつか!”)をはじめとした超大型作品とのタッグを重ねていき、そしてこの夏、そうした4年間の歩みの集大成となるアルバム『LOST CORNER』を完成させた。

重要なポイントは、このアルバムの制作期間のほとんどが、『君たちはどう生きるか』の主題歌”地球儀”の制作期間と重なっていた、ということだ。”地球儀”の制作は、言い換えれば、米津の人生に特に絶大な影響を与えてきたクリエイター・宮﨑駿の新作とのコラボレーションであった。宮﨑監督は、「この世は生きるに値する」という一貫したメッセージを、数々のアニメーション作品を通して無数の観客へ送り届け続けている作家であり、他ならぬ米津自身も、宮﨑監督の作品によって、居場所を認められ、生かされてきたような思いを抱く一人である。だからこそ、宮﨑監督の10年ぶりの新作の主題歌の制作過程においては、もはや想像できないほどのプレッシャーがあったはずであるが、彼は、宮﨑監督からの「信頼できる、大丈夫って。」という期待に真正面から向き合いながら自分自身との闘いに見事に勝ち、そして”地球儀”を完成させた。《風を受け走り出す》《僕》が、これからも《飽き足らず描いていく》ことを力強く宣誓するこの曲は、先人から次世代への継承のアンセムであり、そこに温かく滲む宮﨑監督と米津の関係性を思うと、無類の感動が押し寄せてくる。今回のアルバムの中でも、いや、米津のキャリアの中でも屈指の最重要曲であると思う。


この世界は、生きるに値する。米津が、宮﨑監督の作品、および、彼の人生に絶大な影響を与えてきた様々なクリエイターの作品を通して受け取ってきたその希望的なメッセージは、ずっと米津の音楽の通奏低音であり続けている。今回のアルバム『LOST CORNER』には、2021年以降、私たちの日常を、彩り、照らし、奮い立たせ、そして、光ある方へ向けて導いてきた数々のタイアップ曲たちが収録されている。彼が紡いだメロディや言葉は、いつしかタイアップ先の作品や商品とのリンクを超えて、多くの人々の日常の一部になっていった。特に、今回のアルバムの中盤を成す並びは壮観で、米津が、私たちの日常を、その連なりとしての人生を、現実の不条理と向き合いながらも、いかに懸命に祝福しようとしているのかが改めて伝わってくる。

毎日毎日毎日毎日
僕は僕なりに頑張ってきたのに
毎日毎日毎日毎日
何一つも変わらないものを
頑張ったとしても変わらないものを
この日々を  まだ愛せるだろうか

米津玄師 ”毎日”

レディー  笑わないで聞いて
ハニー  見つめ合っていたくて
君と二人  行ったり来たりしたいだけ
ベイビー  子供みたいに恋がしたい
書き散らしていく僕らのストーリーライン

米津玄師 ”LADY”

羽が生えるような身軽さが
君に宿り続けますように
むくれ顔の蛇も気づきはしない
日々の隙間でおやすみ

君が安らかな夢の中
眠り続けられますように
あんな姿じゃいられない
子供みたいなまま遊び疲れて
それじゃまた明日

米津玄師 ”ゆめうつつ”

今恋に落ちて  また砕けて  離れ離れ
口の中はたと血が滲んで  空に唾を吐く
今羽を広げ  気儘に飛べ  どこまでもゆけ
生まれた日からわたしでいたんだ
知らなかっただろ
さよーならまたいつか!

米津玄師 ”さよーならまたいつか!”


そして、大型タイアップという文脈の中で生まれた最新の楽曲が、映画『ラストマイル』の主題歌として書き下ろされた”がらくた”である。

例えばあなたがずっと壊れていても
二度と戻りはしなくても
構わないから  僕のそばで生きていてよ
どこかで失くしたものを探しにいこうか
どこにもなくっても
どこにもなかったねと  また笑ってくれよ
上手くできないままで  歌う二人はがらくた

米津玄師 ”がらくた”

「あなた」が今、どのような日々の中でどのような人生を歩んでいたとしても、「あなた」の価値は誰にも損なわせないし、奪わせはしない。この曲の中で一貫して歌われているその揺るぎないメッセージは、これまでの米津の数々の楽曲の中で響き続ける通奏低音である。そして、その本質的なメッセージを最大出力で放つ同曲は、「あなた」のために、この世界は生きるに値することを全力で証明する覚悟を伝える渾身のポップ・アンセムである。全編から、一人ひとりの「あなた」の生に懸命に寄り添う揺るぎない意志と深い覚悟を、強く感じる。とてつもない名曲だと思う。

僕が特に強く心を震わせられたのが、《30人いれば一人はいるマイノリティ/いつもあなたがその一人/僕で二人》という一節だ。どのような言葉で表すかはさておき、誰しもがマイノリティとしての実感を抱えながら生きている、いや、生きざるを得ないのが、2020年代という時代なのだと思う。社会システムが高度に複雑化していく中で大小様々な分断が進行する、とても生きづらい時代である。それでも、いや、だからこそ、この曲は、全方位の一人ひとりの「あなた」に寄り添い得る究極のポップ・ソングとして機能する。たとえ綺麗事だと言われたとしても、ポップ・ソングは、まっすぐな祈りや願いを、掲げるべき理想を、届けるべき救いのメッセージを、時間や空間を超えて、熱く豊かな実感を通して、どこかの、いつかの、誰かに伝えることができる。それこそが、ポップ・ミュージックの意義であり、可能性である。きっとこの曲は、これから先、タイアップという文脈を超えながら、たくさんのリスナーの生に力強く寄り添い続けていくはずだ。繰り返しにはなるが、改めてとてつもない名曲だと思う。ポップ・ミュージックって、本当に凄い。


これまで挙げてきた大型タイアップ曲の数々は、外部からプロデューサーを迎えて制作したものであるが、その一方で、今作に収録されている新録曲はどれもセルフプロデュースで制作されたものである。他者、そして、時代と懸命に向き合い続けてきたポップ・ミュージシャンとしての活動と並行して、米津は、今一度自らの原点へと回帰していくように一人での制作へと立ち返り、今作の新録曲を通して、自由に、大胆に、ピュアな創作欲求を無際限に発露している。

その内の一曲にして、今作のフィナーレを担う”LOST CORNER”の中で、米津は、《生き続けることは  失うことだった》と歌っている。これはまさに、”がらくた”の中で歌われているメッセージと通じ合うものであるように思う。何かを獲得しながら、そして、何かを失いながら、私たちは生きていく。喪失を乗り越えて、生きていくことができる。だからこそ、決して一本道ではない人生の中で、《道を曲がる》(”地球儀”)ことを恐れることなく、《海が見えるカーブの向こうへ》歩んでいける。その人生観は、決して絶望や諦念ではない。この歌に込められているのは、胸を締め付ける喪失や悲痛な別れと不可分な日常、人生を、少しでも前を向いて生きていくための希望のメッセージなのだと思う。この曲が放つ軽やかで晴れやかなフィーリングに、心を救われるような気持ちを抱く人はきっと多いはずだ。

今作を締め括るのは、昨年のツアー「米津玄師 2023 TOUR / 空想」のオープニングとエンディングのSEをベースに制作されたインスト曲”おはよう”である。米津は、一人ひとりのリスナーがこのアルバムを聴き終えた後に、「あなた」の日常が、人生が、これからも続いていくことを願っているし、信じている。だからこそ、アルバムのラストを担うこの曲のタイトルは、”おやすみ”ではなく、”おはよう”でなければならなかったのだと思う。あまりにも感動的な幕締めである。

今作を聴き終えた私たちは、再び、それぞれの日常へと戻っていく。そして、その日々の中に、人生の中には、きっとまた米津の音楽が共にある。彼はこれからも、ポップ・ミュージシャンとしての使命を手放すことなく、この世界は生きるに値するという信念を、私たちに懸命に伝え続けてくれるはずだ。自己を超えて、他者へ、普遍へ。『LOST CORNER』という新たなる偉大な通過点を経て、米津の音楽の旅はつづく。



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●ライブレポート


●ディスクレビュー

『STRAY SHEEP』

”Pale Blue”

”M八七”

”KICK BACK”

”LADY”

”月を見ていた”

”地球儀”

”さよーならまたいつか!”


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松本 侃士
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