米津玄師に、ポップ・ミュージックの未来を託そう。
【米津玄師/『STRAY SHEEP』】
ポップ・ミュージックの歴史は、長い。
様々な解釈があるかもしれないが、例えば一つ、ビートルズの登場によって、音楽が「ポップ」で「リアル」なカルチャーとして受容され始めた、という考え方がある。この日本においても、ポップ・ミュージックの歴史は、半世紀以上にわたって幾度となく更新され続けてきた。
そして、その最先端を歩み続けながら、ついに、正真正銘の王座へと至ったアーティストがいる。それが、米津玄師だ。
渾身の新作『STRAY SHEEP』。CDセールスが、瞬く間に100万枚を突破。サブスクリプションサービス全盛の2020年において、ミリオン達成はあまりにも凄まじい快挙だ。YouTube上においても、再生回数1億回を超える楽曲が多数並んでおり、その中でも、"Lemon"は現時点で6億回再生である。
あらゆる記録が、破格。米津玄師というアーティストの存在、および、彼をとりまく一連のムーブメントは、もはや「10年に1度」という言葉でさえも形容し切れない。彼の数々の快挙は、日本のポップ・ミュージック史における一つの奇跡としていつまでも語り継がれていくものだろう。この時代を生きる僕たちは、そうした歴史的瞬間に現在進行形で次々と立ち会うことができている。僕自身、一人の音楽リスナーとして、こんなにも嬉しく誇らしいことは他にないと思う。
それでは、米津への絶大なる支持が証明された『STRAY SHEEP』とは、いったいどのような作品なのだろうか。
今から振り返れば、今作が歴史的一作としての評価を確立することは、楽曲ラインナップが発表された時点で既に定められていた。"Lemon"、"パプリカ"、"馬と鹿"、"まちがいさがし"、そして"感電"。語弊を恐れずに断言してしまえば、これほどまでに鮮やかに国民的アンセムの数々を紡いだアルバムは、少なくともこの十数年の間では存在しなかった。
ここで国民的アンセムという言葉を用いたが、そう評価するに値する証左は、あまりにも眩い歌の力である。それぞれの楽曲におけるソングライティングやアレンジの革新性を挙げていけばキリがないにもかかわらず、しかし米津の歌は、決して聴き手を選ぶことはない。それぞれの歌は、誰もが口ずさむことができるような普遍性を帯びていて、そして、僕たちの日々の生活、人生に深く浸透しながら、自分以外の他者とのコミュニケーションの回路、感情のメディアとして機能する。それはまさしく、ポップ・ミュージックの理念であり、本質的な存在意義そのものでもある。
僕たちは、米津が綴るメロディと言葉に、他でもない自分自身の感情を重ねる。同時に、その歌の送り手である米津の感情、そして、その先の無数のリスナーの感情を思い巡らせる。そうした感情が、例えどれだけパーソナルなものであったとしても、ポップ・ミュージックを介することで、一人ひとりを分かつ差異を越えて、お互いを分かり合おうとすることができる。言葉にするのは簡単だが、これは本当に凄まじいことだ。
特に、世界中が混迷を極める2020年の夏に、「迷える羊(STRAY SHEEP)」というテーマを掲げた今作がリリースされた意義はあまりにも深い。今、世界のあらゆる人々が、未曾有のパンデミックを前にして立ち竦んでいる。ここに編纂された数々のポップソングは、そうした僕たちの迷いや葛藤を優しく包み込み、最後には、鮮やかな幸福感に満ちた景色へと導いてくれる。僕自身、米津のアルバムを聴いて、これほどまでに晴れやかな気持ちになったのは間違いなく初めてだった。
ここでしっかりと書き残しておかなければならないのは、米津が『STRAY SHEEP』に辿り着くまでの旅路は、決して短いものではなかった、ということである。
2009年から数年間、米津は「ハチ」という名義で、ボカロ・シーンを主戦場としながら、ただ一人で楽曲を世に送り届け続けてきた。2012年、『diorama』のリリースを機に本名で音楽シーンに飛び出し、自らの声で歌い、バンドメンバーと共にライブを重ね始め、そして、他者とのコラボレーションを通じて数々の名曲を生み出し続けてきた。"打上花火"も"灰色と青"も、彼が勇気と覚悟を持って(ネットの外の)世界へ飛び出し、自らを絶え間なく変革させ続けてきたからこそ生まれたポップソングだ。
そして彼は"Lemon"のクリティカルヒットを契機として無数のリスナーと繋がり、さらに臆することなくポップの方向へと舵を切っていった。世にポップソングを送り届けることは、もちろん決して容易いことではない。その過程では、誤解を生むリスクや、誰かを傷付けてしまう恐れもあるだろう。それでも米津は、誰よりも果敢に、堂々とポップ・ミュージックの理念を体現し続けていった。
こうした旅路を振り返ると、いかに『STRAY SHEEP』が感動的な作品であるかが改めて浮き彫りになる。ここに束ねられた15曲のポップソングは、米津の音楽的挑戦の最も美しい結実の形なのだ。(そして、一つの集大成を迎えたこのタイミングで、彼の音楽観に絶大な影響を与えたRADWIMPS・野田洋次郎との初コラボレーションが実現したことも、とても感慨深い。)
アルバムを締め括る楽曲"カナリヤ"で、米津は、言葉を失うほどに美しいメロディに乗せてこう歌っている。
まさにこの楽曲は、米津が掲げ続けてきた「音楽はつづく」という至上のメッセージの最も美しい結実の一つだろう。そして何より、彼自身の透徹な願い、そして、音楽家としての揺るがぬ決意を表明しているはずだ。
彼が音楽を鳴らし続けていく令和時代の音楽シーンに、そしてポップ・ミュージックの未来に、僕は、果てしないほどに大きな希望を感じている。
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