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2024年、僕の心を震わせた「映画」ベスト10
2024年の年末から2025年の1月、2月にかけて、各映画メディアによる2024年の年間ベストが次々と発表された。それぞれのランキングをチェックしつつ、見逃していた重要作を後追いで一つずつ観ていたら、すっかり2月末になってしまったけれど、僕も、2024年に公開(配信)された新作映画の年間ベスト10を発表したい。
今回で年間ベスト10を発表するのは7回目。2024年を通して観てきた何十本もの新作の中から厳選を重ね抜いた10作品。これまでの年間ベスト10に選出してきた作品たちと同じように、きっと、これから先の人生を通して何度も繰り返して観直すであろう大切な10本になると思う。2024年も、心からそう思えるような映画たちと出会えたことが何よりも嬉しい。
例年と同じく、記事のタイトルにおいて予め断っているように、この年間ベスト10は「僕の」価値観をダイレクトに反映させた非常にパーソナルなものであり、それ故に、2024年の映画シーン全体を客観的に総括するような企画とは程遠い内容になっていると思う。7回目ということもあり、自分の判断軸が、企画を始めたばかりの頃よりも揺るぎなくなってきているのを感じる。そして、今回1位に選んだ作品は、僕の中で、先月公開した2024年の「邦楽」の年間ベスト10の1位の楽曲と深いところで共振している。映画と音楽は、表現形態こそ違えど、今この時代を彩るポップ・カルチャーとして通じ合い、響き合っていると、改めて強く思った。
今回も、一人でも多くの方に、一本でも多くの作品に興味を持ってもらいたいと思い、この記事用に10本の作品の短評を書き下ろした。この記事が、あなたが新しい作品と出会うきっかけ、興味を深めるきっかけになったら嬉しいです。
【10位】
ぼくのお日さま
雪が降り始めてから、雪が溶けるまでの物語。そして、3人の心が一つに重なり合い、そっとほどけていくまでの物語。ありふれているようでいて、二度とは決して訪れない日常の一瞬一瞬を丁寧に捉えたシーンの連続。今作の中で紡がれる時間の流れは、尊く、それ故に切なく、そして何より、あまりにも美しい。喜びの感情も、悲しみの感情も、白い余白の中で鮮やかに溶け合い、最後には、春の訪れの予感とともに、まっさらな未来に向けた晴れやかなフィーリングがスクリーンを満たしていく。シーンが移り変わるたびに時の流れを惜しみたくなるような、眩い宝物のような映画だった。特筆すべきは、一つひとつのシーンに差し込む温かな光たち。それらはまさに、この映画の4人目の主人公なのだと思った。奥山大史監督が、監督・撮影・編集を手掛けた米津玄師の”地球儀”のミュージックビデオを観た時にも、そこに差す光の美しさに強く惹かれたことを思い出した。今作を観て、奥山監督が世界に向ける眼差しに改めて興味を持ったし、今後の作品に対する期待がよりいっそう深まった。
【9位】
ミッシング
まるで、吉田恵輔監督の前々作『空白』(2021年)の姉妹作のような映画だった。『空白』と『ミッシング』は、企画の成り立ちからして分かちがたく結び付いていて、どちらも、心の「空白=ミッシング」を通して繋がった人々が胸に抱く絶望と、その先の希望を克明に描き出している。絶望的な悲劇に直面した時、自分の心の中に折り合いをつけることができたらどれだけ楽だろうか。この2作品は、いつまでも心の中に折り合いをつけることができない主人公の苦難や葛藤の日々を残酷なまでにありありと描いていて、そして、あえて比較するのであれば、『ミッシング』のほうが、折り合いのつけられなさが大きく、その意味において、この物語には真の終わりは訪れ得ないのかもしれない。それでも、『空白』が、自分と他者に対する赦しの物語であったように、『ミッシング』もまた、他者との繋がり合いの中で利他の精神を育み、巡り巡って自分自身を救済していく、そうした温かな希望を感じさせてくれる物語だった。2本合わせて、吉田監督の最高傑作だと思う。
【8位】
あんのこと
もうすぐ5年の歳月が経つけれど、日本が本格的にコロナ禍に突入した2020年春のことは今でも鮮明に思い出すことができる。あのクルーズ船が横浜に入港した時のこと。街から人が消えた時のこと。ブルーインパルスが東京の空を飛んだ時のこと。いつまでも薄れることのないコロナ禍幕開け期の記憶の上に、この映画は、混迷の日々を懸命に生き抜こうとしていた"彼女"の切実な存在証明を深々と刻み付けていく。今作の主演を務めた河合優実は、「彼女の人生を、自分が生き直す。」という渾身の覚悟をもって、主人公・杏を演じ抜いた。凄惨な環境の中から、少しずつ手繰り寄せることができた温かな光。しかし、コロナによって不可逆的に浮き彫りになった日本社会の構造的欠落と分断は、その光を一つ、また一つ奪い去っていく。「はじめて、生きようと思った。」そんな彼女を絶望の極北まで追い込んでいった無慈悲な世界の中で、私たちは、今日も生きている。今作の後半には、杏が自分以外の他者に対して手を差し伸べる展開がフィクションとして付け加えられている。それは、入江悠監督による、この無慈悲な世界に溢れる負の連鎖を断ち切るための切実な抵抗なのだと、僕は感じた。
【7位】
HAPPYEND
空音央監督の長編劇映画デビュー作。目まぐるしく移り変わる時代の中で、次々と塗り替えられていく価値観、深まっていく分断。そうした大きな物語に翻弄されながらも、決してその一部として回収されてしまうことのない、私たち一人ひとりの小さな物語。あえてジャンル分けをするのであれば、今作は青春映画なのだと思う。他者との繋がりや関わりを通して自分の輪郭を知り、その手応えをもって、さらに他者と世界との繋がり合いと関わり合いを深めていく。そのプロセスの中で、自分の理解と想像が及ぶ範囲を少しずつ広めていき、一方で、どれだけ寄り添おうとも自分の想像が及ばぬ領域があることを知る。冷笑したり、諦念を抱えながら生きるほうが楽かもしれない。それでも、憎むよりも、愛し合いたい。睨むよりも、笑い合いたい。目まぐるしく変わっていく世界の中で、大切だと思うことを変わらず大切にし続けていきたい。今作のポスターに掲載されているコピー「世界は変わっていくんだよ」という言葉に、絶望的なニュアンスを感じ取るか、希望的なニュアンスを感じ取るか。今作を観た後の僕の実感としては、限りなく後者に近い。変わっていく世界を、変えていく。そのはじまりの物語。今作のラストで描かれる終着点は、同時に、まっさらな未来に向けた始発点でもあり、僕は、今作のエンドロールの向こうに果てしない希望を感じ取った。
【6位】
ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ
『ベイビーわるきゅーれ』シリーズに、ついに池松壮亮が参戦。彼が演じた最凶の敵・冬村かえでのインパクトが、あまりにも凄まじすぎた。このシリーズ、敵の強さも、アクション表現の到達度も、どんどんインフレしていくから本当に凄い。日本のアクション映画の未来は明るい。そう手放しで祝福したくなるような大傑作だった。スタッフたちの創意工夫と試行錯誤の果てに緻密に設計された渾身のアクションシーンの数々。そして、その設計の意図を身体表現をもって具現化しながら、さらにその先の次元へと超越することを目指すかのような俳優陣の魂の熱演。言葉ではなく、身体表現を通して雄弁にドラマを物語る。圧巻だった。そして、同時期に地上波で放送されたドラマ『ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!』も大傑作だった。はじめは、映画『ナイスデイズ』がボス戦で、こちらのドラマは、その後の日常パートだと思っていた。ただ、「風林火山編」も「ジョブローテーション編」も、既存のテレビドラマの規格を豪快に打ち壊そうとするような鮮烈な野心を感じさせる仕上がりで、映画数本に匹敵する重みと深みがあった。特に、終盤の、ちさととまひろが生きている意味をお互いに確かめ合うシーンは、友情や友愛を超えた超弩級のエモーションの結晶で、魂が震えた。『ベイビーわるきゅーれ』シリーズ、これからも末永く続いていってほしい。全力応援。
【5位】
シビル・ウォー アメリカ最後の日
イギリス出身のアレックス・ガーランド監督が、アメリカにおける架空の内戦を描いた戦争映画。ファシズム政権(異例の3期目に突入)によって、アメリカ国内で分断が加速。連邦政府から19の州が離脱。最も保守的なテキサス州(共和党の州)と最もリベラルなカリフォルニア州(民主党の州)が同盟を組み、政府軍と衝動する、という設定は、極めてフィクショナルではあるが、監督いわく、今作の50%は現実であるという。今作のアメリカ公開は4月。その後の半年の間で現実の政治情勢は混迷を極めながら大きく加速し、そして11月の大統領選へ。その結果、2025年から第2次トランプ政権が幕を開けた。主人公を演じたキルステン・ダンストは、「この映画は、人々がコミュニケーションを取らなくなり、誰も互いの意見に耳を傾けず、ジャーナリストを沈黙させ、共有されてきた真実を失った時に何が起こるか警鐘を鳴らす寓話です。」と語った。しかし、本来、アメリカへの警鐘になるはずだった今作は、結果的に「報道」としての意味合いを色濃く帯びることになってしまった。第2次トランプ政権が誕生した今、改めて今作を見直すと、切実なリアリティのあまり言葉を失うシーンが多いことに気付く。特に、ジェシー・プレモンスが演じる武装兵が「What kind of American are you?(お前はどの種類のアメリカ人だ?)」と問うシーンは、今後、いつまでも語り継がれていく戦慄の名シーンになると思う。
【4位】
哀れなるものたち
まっさらな目線で世界と向き合い、自分なりの方法論をもって他者との関わり合いを深め、そのたびに、新しく学び、変わり、自身の世界を広げ続けていく。そして、そうした自分だけのプロセスを経て、やがて、世界に満ちる不条理や不平等、不公平に対峙していく。もしかしたら、その過程においては、正しいことばかりではないかもしれないし、間違うことも多いかもしれない。それでも、正しさと正しくなさの両方を引き受けながら、いついかなる時も、自分で自分の生き方を選択し、その生き方を自身で力強く肯定していくことができる。そうしたベラの物語は、彼女と同じように、自分の、自分だけの人生を生きようとする人々に向けた渾身の祝福である。そして、ピュアな衝動や欲望の赴くままに駆け抜けていくベラの破天荒な物語に、理屈を超越した輝かしい説得力をもたらしているのが、今作全体を彩る大胆不敵な映画表現の数々だ。全編にわたる創造性の爆発。衣装や美術、劇伴、あらゆるクリエイティブが豪快な自由度とスケールを誇っていて、圧倒されながら、同時に、深く魅了され包み込まれるような不思議な感覚を鑑賞中ずっと抱いていた。僕は後から配信で観たけれど、劇場公開時に大きなスクリーンで観ておくべきだったと後悔した。
【3位】
オッペンハイマー
3月の日本公開に先立って都内で行われたTOKYOプレミア。上映前のスクリーンに映し出されていた「この世界に生きる私たちへ」という言葉が、今も忘れられない。その言葉のとおり、映画『オッペンハイマー』は、私たちが生きる今の時代・世界と響き合う、極めて普遍的な反核映画だった。さらに言えば、これから先いくつもの時代を超えて、人類に核(および、非人道的・無差別的な暴力全般)への警鐘を鳴らし続けていく、とても果てしない射程を誇る作品だった。一人でも多くの観客が今作を観ることにこそ意味があり、だからこそ、今作がアカデミー賞を席巻(作品賞を含む7部門を受賞)したことには大きな意義があると思う。今作が観客一人ひとりに授ける、在るべき未来について思考を巡らせるきっかけは、混迷を極め続ける現行の世界を照らす数少ない希望の火となり得る。私たちは、人間を人間たらしめるヒューマニティーを手放さないでいられるだろうか。今もなお、誰かの生が無差別的な暴力によって否定され、奪われ続けている無慈悲な現実に対して、目を背けることなく抗っていけるだろうか。これから先の未来の行方を問われているのは、他でもない私たち観客一人ひとりであり、改めて、今作が今この時代において果たす役割の大きさと切実さを感じる。
【2位】
ルックバック
2021年、藤本タツキの原作(長編読み切り)を初めて読んだ時、これは歴史に残る作品になると思った。漫画を描き続ける主人公2人の物語を、藤本タツキが全身全霊の漫画表現を通して描き出していく。つまり、作品のメッセージと表現手法が分かちがたく結び付いている。だからこそ、この物語が懸命に体現するクリエイター讃歌のメッセージに、何よりも深い説得力が宿る。この物語がアニメーションとして映画化されると知った時は驚いたけれど、実際に映画館で今作を観てさらに驚いた。あの原作漫画が、漫画にしか成し得ない表現の結晶だったとしたら、この映画は、アニメーション独自の表現の堂々たる結集にして、美しき結実。動きを通して時の流れを紡ぐアニメーションだからこその魅力、説得力、そして、観る者の人生を不可逆的に変容し得る破壊力を、たった58分間の中で幾度となく感じた。藤本タツキの原作漫画によって無数のクリエイターたちが奮い立たされたように、きっと今作は、次の世代のクリエイターにとっての原動力/指針になる。そのタイトルとは裏腹に、「ーー描き続ける。」という揺るがぬ創作精神は、この先の未来へと継承されていく。この作品を観て衝撃を受けた人は、きっと、その鮮烈な余韻を胸に震わせ、情熱を燃やしながら、これから先も、自分が信じる道を突き進んでいくのだと思う。もしくは、この作品を観て、途方に暮れてしまうような気持ちになる人もいるかもしれない。もしそうだとしても、今作はそうした人たちにとって、これから先、我を忘れて没入できることや、人生を懸けて挑戦する価値のあることを、新しく探し始めるきっかけになるのではないかと思う。その意味で言えば、今作は、クリエイター讃歌であるのと同時に、広義の人生讃歌でもある。何重もの意味で、とてつもない大傑作だと思う。
【1位】
夜明けのすべて
分断が深まり、対立が加速していく。そうした安寧なき世界を、誰もが、大小様々な、その人だけの生きづらさを抱えながら生きている。そうした悲痛な現実を否応もなく突き付けられる日々において、いったい映画はどのような役割を果たすことができるのか。その問いに対する答えは、決して一つではないと思う。現実に対して抗う力を共有することも、現実から逃避する時間を与えることも、映画が果たし得る大切な役割の一つだと思う。そして、僕は思う。この世界は、生きるに値する。その輝かしい確信を分かち合っていくこと。それこそが、今、この時代において、特に強く希求されている映画の役割である。
誰もが、自分の人生を生きるのに精一杯だ。それでも、社会的な生き物である私たちは、自分以外の他者との対話を本能的に求めてしまう。そして、その対話の先に、相互理解と共助の可能性を見い出すことができる。僕が今作を観る中で最も強く心を震わせられたのが、主人公の2人が、自分のためではなく他者のために、つまり、利己から利他へと向かっていく一連の展開だった。そのささやかな一つひとつのシーンに、果てしない希望を感じた。綺麗事や理想論かもしれない。それでも、それらによって彩られる日々や救われる生があるのなら、僕はその綺麗事や理想論を信じたいと思った。そして同時に、僕は今作から、この物語は決して特別なものではないと思わせてくれる不思議な親しみを感じ取った。綺麗事でも、理想論でもない。決して特別なことなんかじゃない。微かでも、確かな、その温かな予感を授けることが、映画にはできる。そして、その予感が確信に変わる「夜明け」の到来を信じて、私たちはこれからも、一人ひとりそれぞれの夜を生きていく。相変わらず時代はシビアで、私たちが各々抱える生きづらさはそう簡単には拭えない。それでも、きっと大丈夫だ。その祈りや願いにも似た確信を、私たちは決して手放してはいけない。
2024年、僕の心を震わせた「映画」ベスト10
【1位】夜明けのすべて
【2位】ルックバック
【3位】オッペンハイマー
【4位】哀れなるものたち
【5位】シビル・ウォー アメリカ最後の日
【6位】ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ
【7位】HAPPYEND
【8位】あんのこと
【9位】ミッシング
【10位】ぼくのお日さま
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