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人生に乾杯 6

8月5日に新型コロナで入院患者への面会が禁止になるまで、かなり多くの人々に病院に来ていただいた。渡星前に住んでいた目黒区時代のマンションお向かいさん(S家)、シンガポールにいて出会ってその後帰国した友だち、20年以上前に米NYへの留学時にお世話になった人。逐一お名前を上げるのは憚られるが、各位に心から心から御礼申し上げたい。また、ビジネスを一緒にした方々、日星双方の公認不正検査士協会(ACFE)の方々らとも何度もメッセージのやり取りした。加えてシンガポールから帰国後2週間の隔離生活を送っていた家族が7月29日に来た時には、本当に嬉しかった。

成田病院は東京からは遠く、都心部からでも公共交通機関で2時間以上、家族が帰国後に居を定めた場所から3時間かかる。車を持つS家らはまだいいとしても、車無し組には不便この上ない。このため自身の家族や留学時の知人、埼玉に住む親族などにはご苦労をかけてしまった。

妻とっこからの勧めで入院中に日記を付けていた。今号は日記初回となった8月7日の分から抜粋する。

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7月14日 家族で成田に降り立つ。S家にお迎えをお願い。自分だけ成田病院で落としてもらう(註、迎えに降りてきてくれた脳外科の若手医師に自身を症状を説明すると「それは失語症ですね」と。この時初めて自分が失語症だったことを知った)。

7月15日 コロナ陰性(空港検疫と病院の2回)で、コロナ専用病棟の6階から7階へ移動。食事の出方も変わる(註、6階にいた一晩は、食事が品物ごとにレジ袋に入っていた)。

7月18日 S家夫婦が車で見舞いに来る(註、自宅隔離中のとっこは「お隣さんは身内みたいなものだから」としれっとしていた。S家は24日、8月2日にも来てくれた)。

7月19日 実母が見舞いに来る(註、母は28日にも来て、この時は病室で昼食を一緒に食べた)。

7月21日 妹が見舞いに来る。

7月25日 シンガポール時代の友だちたちが時間をずらして来る。

7月29日 とっこ、娘、息子が来る。2週間ぶりの再会。

8月2日 NYへの留学時代にお世話になった知人が来る(註、彼は9月に国内異動になったが、同期留学組のスターだ)。直後にS家夫婦が、私の家族を連れて来て合流。留学時代の知人は先に帰る。

新型コロナで8月5日から面会禁止になったので、今のうちにいろんな人に来てもらって良かった。病室は4人部屋で、今は自分含めて3人。で、3人とも脳障害。1人は今日(註、8月7日)からアバスチン投与。「気持ち悪〜」と言っている。自分は来週火曜日から(註、この時、アバスチン投与には強烈に不安だった)。

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一方でこの頃、治療がシンガポールと比べて遅々として進まないことに苛立ってもいた。

(写真は2020年1月6日、長野・白馬で。続く)