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人生に乾杯 7

10月4日(日)、それぞれ異なる知り合いの2人と電話をした。自分がブログ(本稿)を始めたことに驚きながらも、強く勧めてくれた。米国留学時代にお世話になった先輩からは日記を勧められていて、過日もらったメールでもそう書いてあった。つくづく始めてよかったと思う。隠すことにいいことは何もない。

入院中の心持ちについて。

成田入院中に付けていた日記を見返すと、8月初旬ごろは自分の状況がまだ受け入れられていなかった。ちなみに、放射線を頭部に当てる治療と化学療法(テモダール投与)は7月30日に、同じ化学療法で抗がん剤の一種、分子標的薬(アバスチン)点滴は8月12日から2週間おきに始まった。いずれも退院時に一旦終了した。その日記からの引用である。

「携帯でSmart Newsを見ると、日に1本はがんの話がニュースになっていて滅入る。症状も治療法も生存率も人によって違うのに、どれも紋切り型。いや、それだけ患者が増えているということか」(8月9日(日))

「家族って何だ。かさぶたを剥いても2、3日で治るように、家族も自分が抜けると残る3人でその空白を埋めるのか。昨日はS家(目黒時代の知人)、今日はシンガポールで一緒だった由香(仮名)のところと忙しくしているらしい。うらやましい。ダメだ。全然死を受け入れられてなんかいない。このまま何年生きられるだろう。来年?3年?10年?残される家族を思うと辛い」(8月10日(月))

「今日いやだったこと。声がかすれてたこと。体の症状にいちいち敏感ビクビクしたこと」(8月14日(金)。日記にはこの4日前の10日にも「ビクビクする」の記載があり、この時は「少しでも頭が痛い、気管支に違和感、口の中の特定箇所に火傷みたいな痛さ(註、「があるとビクビクする」の意)」と紐付いている。声は出るようになったが、喉の違和感は今でも残っている)。

このころの不安感は、日本の医療界が、患者への治療が異様に遅いことと関連していた。医師1人ひとりの努力では改善しないかもしれないが、医療界に限らない「日本」というシステム全体の遅さと関連していた。全てをスケジュールで管理しようとする弊害、電子化の絶望的な遅れ、忖度文化(同調圧力)、である。国のトップが安倍氏だろうが菅氏だろうが政府と同じ病理だ。シンガポールのように、医師は診察の瞬間「これはまずい」と思えば、少なくとも翌日、あわよくば当日手術するくらいのシステムと環境が整っていて、初めて「患者ファースト」と呼べる。日本のシステムは無駄が多すぎる、というのが私の感想だ。昨夜話をした1人からは、そのシステムの壁にぶち当たった時に、自分で気づかないといけない、ということも痛感させられた。私はそれまで、壁があれば「あー、そうか」と思っていたので、この友達には感謝している。

同じ8月10日の日記に次の記載がある。「相部屋向かいのお年寄り、1週間前に入ってきたが、脳腫瘍が左半身に影響の出るところにあるよう。本人曰く、1週間の間にどんどん動かなくなってる、気分が滅入ってさー、と。手術は8月20日ごろ、今日から10日後だという(リハビリ療法士の談)。この日本では救える人も救えないのか。自分の経験でも『来週から』『再来週には』ということが多かった」。

シンガポールで我が家が加入していた保険は、年間SGD 10,000(日本円80万円弱、月7万円弱)くらい。格安の個人・法人所得税と、高利の金融機関貯蓄パッケージで、日本で公租公課などを支払うより得になる。なおかつ迅速な医療サービスが受けられのだから、やはりシンガポールの医療は効率的で、日本は非効率ということになる。とてもではないがやり切れない。

(写真は2019年11月28日、私にブログ執筆を勧めてくれた米加家族とのボルネオ旅行から。家族は4人子どもがいるので我が家と合わせて計6人、後ろ姿は「壮観だなぁ」と思ったのを覚えている。続く)