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人生に乾杯 4

シンガポールでの3事例からもう一つ共通点をあげるとすれば、「医療情報は本人のもの」の意識が、日本よりも圧倒的に進んでいる、ということだ。まず、医師の説明が日本のそれと比べて極めて細かい。米研究所からのレポート記載内容はもちろん、医師が見たもの聞いたものは全て患者のもの、という姿勢に貫かれている。9月4日のビデオコールが好例だ。まず、日星を繋いででもビデオコールをやろうという姿勢に感服せざるを得ない。

なんとかして丸め込もうとする日本の場合、独特の「忖度文化」の延長にも思えてくる。「腫瘍」を「できもの」、「悪性」を「悪さをする」に言い換えるのはまだいい。今年の体験では、シンガポールで遺伝子診断の可能性について聞かされ(有効性は「半々」だった)、それも踏まえて成田の担当医にはすでにRaffles Hospitalからの診断書と研究所レポートを出してあった。が、入院中に担当医に尋ねると「まぁ、やることは同じだから」と、それ以上のコメントは出てこなかった。担当医を非難しているのではない。読者の方には、その現状に私が日本医療界の課題を見ているとご理解願いたい。

妻は退院後、自身入院の病院と翻訳の業務契約を結び、「Hummingbird Care & Support」の名前でコンサルタントとして日本からの患者を呼び込もうとしたことがある。屋号は、もともと私たちがHummingbird Advisoriesというリスクコンサルティング業をシンガポールで登記していたことに由来していた。日本の保険が効かないのでどうしても富裕層相手にはなるが、日本の医療界が全般的に遅いこと、情報開示が不十分なことへの危機感が根底にある。東京で付き合いのあったプライベートバンカーに相談したら、日本のがん患者はシンガポールでかかる数倍の値段を払って米国西海岸まで行くことを引き合いに「絶対やった方がいい」と、お墨付きをもらったことも後押しした。日本から声がかかることはなかったのは残念だった。

話は変わるが、大腸がんと診断された昨年、私が何を考えたかに触れたい。入院前に自宅ベッドの上でPCに向かって遺書を書いた。読み返すとあまりに恥ずかしいものの、今も気持ちは変わらない。むしろ膨らんでいる。軽微な修正と註を加えた上で紹介する。

(2019年7月23日午後10時8分、自宅ベッド)

自分が死ぬかもしれないとなった時、ここまで気が動転するのかと驚いた。まだ決まりではないが、すい臓ではなさそう、ということだけでも、救われた思いだ。それでも大腸のがんはがん。転移のことも確認しないといけないので、安心はできない(註、術後に転移はないと言われていた)。それでも、少しだけ自分の気持ちから「死」が遠のいた今のうちに、思うことを書いておきたい。

病気(がん)との戦いというが、それは違う。戦わないといけないのは、がんという事実から来る気持ちの歪み、恐怖、悲観だ。悲観しようが楽観しようが、残された時間が同じだとするなら、楽観して生きた方がいいではないか。夫として、父としての責任、家族で少しでも楽しく幸せに生きていたいという気持ち。彼ら(註、家族のこと)だって同じだろう。病気に嘆き悲しむ自分をいつも見ていては、いやになってしまうだろう。

「過去」「自分の体」「他人の気持ち」の3つはどうしたって自分でコントロールできない。そこに嘆いていては、それは、負けだ。自分でコントロールできるのは、自分の気持ちしかない。行動は気持ちが伴ってついてくるので二の次で、やはり大事なのは自分の気持ちだ。残されてしまうかもしれない自分の時間をどう生きるかは、病気を呪って生きても良いことはない。自分の気持ち次第でいくらでも、家族とのquality timeが過ごせるようになる。

昨夜のNHKで、柔道家の藤井裕子が「運も実力のうちというが、違うと思う。強い意思が運を連れてくる、というのが正しいのではないか」と言った。そうだ、そうなのだ(註、藤井さんは在ブラジルで、ナショナルチーム男子監督)。

強い意思を持とう。何があっても、意思を強く。恐怖に負けない。

(写真は2019年11月28日、子どもたちがシンガポールで在籍する学校で仲良し米加家族と行ったボルネオ島コタキナバルにて。続く)