人生に乾杯 3
米2研究所からのレポートが手元に届いたのは8月に入ってから。シンガポールからメール添付で送られてきたものを妻が転送してくれた(写真左はCaris、右はTempus。一部マスキング)。これを元に9月4日、シンガポールの腫瘍内科の医師とZoomでビデオコール。シンガポールから医師が入り、都内自宅から妻、成田病院から私である。レポートが医師に届いてからビデオコールの設定まで時間があったので、大したことはないのだろうと判断していた。
レポートは専門用語が盛りだくさん。医師からも全てを見る必要はないとコメントがあり、説明は主だった記載の1、2ページ目に限定されたものの、入院している日本の治療が軌道に乗っていることを示していた。医師の説明は仔細に渡った。ただ、シンガポールでの入院時、医師からターコット症候群(Turcot's syndrome)の疑いがあると告げられたが、レポートにはその指摘がない。医師も気になっていたらしい。結果、研究所の知り合いと追加的なメールのやりとりをベースに「以前のターコットの定義には該当するが、そうではないかも知れない」との暫定的な結論になったと聞かされた。医師から「症例として非常に珍しいので医学誌(British Medical Journal)に寄稿してもいいか」と言われ、私は快諾した。後になって個人情報提供同意書が送られてきた。やはり電子版だ。
シンガポール医療界の共通点をあげるとすれば、何につけても電子版でやりとりだったり、次の日の執刀だったりと、とにかく早い点がある。メッセージやりとりではメールと添付は当たり前で、医療スタッフとはSNSでやりとりする。日本のデジタル庁など10年以上は遅い。今でも記憶に残るのは、妻が乳がん手術後に医師と話をしていた2018年後半、我々は医師に、日本ではがん検診の内容によってはひと月以上手術を待たされる現状を話した。自身も日本に留学したことがある医師は、乳がんの場合はひと月で2倍になる可能性があることを紹介しながら、「信じられない」と驚いていた。妻はシンガポールの病院に入った翌日に手術を受けているから、医師の驚きは想像できた。
2019年の私のS字結腸がん治療も、シンガポールで受けた。この時はシンガポールの日本人向け老舗クリニックJapan Green Clinicでお世話になり、そのまま翌日午前にJGCと同じビルに入る、シンガポール街中のOrchard通り沿いにクリニックを構える名医につないでもらった。医師は一通りの診察を終えた後、私に「急いでるって聞いたけど、いつ手術を受けたい?」と聞いてきた。なんでそんなことを聞くんだろうときょとんとしながら「できるだけ早い方が…」と言い淀むと、「じゃあ今日の午後3時、この病院へ来なさい」と国内がん専門病院を紹介された。「これ飲んでってね」とスタッフに言われた3リットルの下剤入り水を飲みながら、「今日かぁ〜」と心の中でボヤいた。
指定された病院は在シンガポール日本人商工会議所(JCCI)の側。妻の時に執刀医を紹介してくれた看護師が在籍する病院で、後になって彼女から「今度はあなただったのね」と、残念そうな目で声をかけられた。手術翌日、病院自室で寝ていると保険エージェントがやってきて花束を置いていってくれたのを覚えている。彼女の親切心と「こんなことまでするのか」との思いが交錯しつつ、体が起き上がらない私は、「そのまま寝ててね」という彼女の言葉に甘えた。執刀医からは「3日で退院しなさい。動いた方が体にいい」と言われたのを、懇願して5日にしてもらった。
シンガポールの早さは、民間医療保険と紐付いていることは否定できない。国民皆保険のないこの国では、保険料を支払う余裕のない人は公立病院で長時間待たされる他に選択肢がない。しかし、民間保険会社(我々の場合はNTUC)へ支払う年間保険料は、夫婦と未成年の子ども2人でも日本の健康保険を大きく下回る。特に外国籍の人は入らない手はない。在星8年半の間、一時は家族全員が未加入の時期もあったが、それでも滞在後半から入り直した。外国籍なのに生活基盤も脆弱、政府のサポートもきっと薄い。このままではまずい、という漠然とした不安からだった。
(続く)