ある孫の日記 その3
「寝坊したから13時頃に着くよ」「いいよー待ってるよ」
今日のお昼は、穴子、しじみの味噌汁、はんぺんや大根、トマト、ブロッコリーなどぶちこまれている煮物。あと水分多めの白米。
「おいしい?」祖母は、こちらがご飯を口に運ぶまえに聞いてくる。そして、こちらが「おいしい」と伝えると、とびきりの笑顔をこちらに向ける。そしてしばらくすると、「おいしい?」と聞いてくる、お茶を飲むたびに「おいしい?」と聞いてくる。穴子がおいしかったので、ごはんをおかわりしたら、大喜びしていた。
坂上香さんの『根っからの悪人っているの? 被害と加害のあいだ』を読みながら「アイデンティティ」ってどういう意味?と祖母は聞いてきた。わたしは自信なさげに「自分が自分であること、かな」と答える。「アイデンティティってわかるようでわからない」と祖母。わたしはすこし考えて、お墓に掘ってある言葉が近いかもね、と伝える。祖父の墓には「自分が自分であることを喜ぶ」と刻んである。「わたしは、過保護に育てられたから、そんなこと刻まなくても当たり前じゃないかって思う。でもおとうさん(祖父)は、きっと過酷な環境にいたから、言葉にする必要があったのかな」と祖母。「わからないけど、わたしにとって、その言葉は必要な言葉だと思って大事にしてる」「〇〇(わたしの名前)に大切にしてもらえて、きっとおじいちゃんもよろこんでるよ」
そのあと、信仰の話になって、「あの世があるかわからないけど、あの世はあってほしい。そしたらおじいちゃんに、ばかって伝えるのに」と言っていた。ありがとうなんだけれど、でもまずはばかって伝える、ありがとうなんだけどね、と何度も言っていた。そうだね、そうだよね、そう思う。あたたかいお茶を何度もおかわりして、祖母がなぜ絵を好きになったのかを教えてもらって、いくつかの写真を壁に貼ってほしいと言われたので画鋲を取り出して貼って、ストーブの灯油を入れ替えて、それぞれ別の本を読んだり、うとうとしたり。なんでこうやって書いているのだろう、写真を撮るのだろう、祖母とわたしの中だけで、自分だけの記録として残しておけばいいのではないか。誰かの目に触れず、二人のなかだけで記録し続けることが、こわい。たまらなくうれしいこともあるし、嫌じゃないし、むしろわたしが必要としているのだけれど。