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なぜペンネームを名乗るのか
「垣花つや子」はペンネームだ。なぜペンネームを名乗るのか記す。この名前は、わたしにとって大切な人たちの名前をベースにつくった。その人たちは、すでに亡くなっている。ある人は事故死、ある人は自死だった。
自分自身に余裕がなく、なんとか働いていた時期に、大切な人の死が突然やってきた。後悔がたくさんあった。当時混乱してしばらく働けなくなったし、あのときこうしていれば、ああしていればというきもちが、ぐつぐつと沸き上がった。数年が経つ今でもふと揺らいでしまうことがある。
自死を選ばせてしまった環境の一旦を担っていたのはわたしだ。その判断をさせてしまったのは、この社会だ。大切な人は日々生きていく中で生きることではなく、死を選んだ。いや本当のところ、積極的に選んだのか、選ばざるを得なかったのか、計画的だったのか、本人の思いは何もわからないし、本人や周囲を責めようとは思わない。
自身の大切な人が、生きていくのではなく、周囲に相談せず死を選択したことは身体に刻まれている。忘れることはない。
けれど、仕事や暮らしの中で発生するやるべきことに追われていっぱいいっぱいになったとき、あの出来事で悔やんだことをまた繰り返してしまうかもしれないと思った。だから仕事で使う名前を「垣花つや子」にした。どんなにいっぱいいっぱいでも立ち止まれるように。
悲劇を背負った人物として見せていきたいわけではない。いや、実際にはその欲望は存在するのなろうけれど、同じ後悔を繰り返したくないと強く思う。でもさいきん目の前にあるやるべき(と勝手に思い込んでいる)ことに追われて、大切にしたいことが大切にできていない気がする。(事実、大切にできていない部分があるのに、「気がする」と書いたのもなぜだろう)。
日々なんとか駆け抜けて、やり過ごすことで、置いてきぼりにしていることがたくさんある。その中で、他者の権利を阻害していることだってあるだろう。ぞっとする。自分に怒りがわく。その怒りの矛先が、自分とこのような状況をつくっている政治と社会構造に向いてくれよ、と何度もつぶやく。同時になんとか余裕を確保せねばと口には出す。極端じゃなくていい、完璧じゃなくていい、ささやかでいい、いきなりうまくいかなくていい、ひとりでやろうとしなくていい、抱えすぎなくていい、嫌になったり諦めたくなったり、自暴自棄になってもいい、きもちよくなってもいい、罪悪感におぼれてもいい。でも置きざりしてはいけないもの、阻害してはいけないものは見失わないようにしよう
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