ある孫の日記 その10
いつぶりだっけ?と記録を見返したら1ヶ月半以上も空いていた。それくらいぶりに祖母の暮らす家へ。
ついたら庭の手入れをしていた。剪定バサミのようなものをもって草木を刈っている。集中していてこちらには気づかない。たのしそうだったし、すぐに声かけなくていいかなと少し悩んでから声をかけた。
今日のお昼も煮物、いつも通り高野豆腐入り、豚肉に塩麹とかで下味をつけてるんだよと教えてくれる。
今日の服は部屋着じゃなくて外行きの服っぽくて、かわいかったので「その服おしゃれだね、午前中どっか出かけてきたの?」と聞いてみる。「部屋着だよ、これは(祖母の)おかあさんが着ていてもらった服でさ、おしゃれだよね」とのこと。
ごはんを食べながら窓の外を眺めると、紫陽花が咲いている。「きれいに咲いているね」「椅子に座ってちょうどよく見えるし、いつも慰められているよ」と祖母。ここでの慰められているは「穏やか」的なニュアンスな気がして、それをさらっと日常会話で使えるのがなんだかよいなあと思う。
「おーいお茶となんかやすいやつを缶に入れてまぜて、ブレンドするとおいしいのができるよ、2回まではそれで濃く出て3回目は他所の人には出せないけど自分で飲むぶんにはおいしい」とインスタントな美味しいお茶の淹れ方を教えてくれた。
ごはんを食べたら、畳の部屋で横になり、途中から祖父が残した記録をざっと眺める。「〇〇庵便り」として個人的なつながりのある人たち向けに出していたお便りたち。何シリーズかあって、100号までいくと違うシリーズに変わる。お便りをもう辞めますと書いてすぐ復活してたり、もらった感想に一喜一憂してたり、自身の来歴を振り返ったり、季節の挨拶をしたり、弟子をとっていた尺八教室の案内が書かれていたり、オリジナル小説の連載があったり、A4サイズの用紙に表裏印刷で2枚くらいの中に盛りだくさん……、これは時間をかけて読もうと思っていたら祖母も畳の部屋の部屋にきて「文章が堅いでしょう、おじいちゃんの性格が出てると思うんだよね」と。
祖父が育ってきた時代に使われたのだろう文語のトーンは感じたけれど、性格が出てるのか、わからないけれど、立派でありたい、役に立ちたい、評価されたいという切実さを感じてしまうのは勝手だろうか。「自分が自分であることをよろこぶ」と墓に刻みながら、そこに苦しんだ記録のように見えてしまうのはだいぶフィルターがかかっている。
祖母と喋りながら便りをパラパラと読んでいたら、突然「(わたしの名前)、君は私にとってははじめての孫で〜」と書かれた文章が入ってきた。この便りが書かれたのはわたしが高校生の頃なので、高校生のわたしに向けて当時の祖父が書いたものだろう。「思春期となり〜悩むこともあるだろう」と書いてあって、そんな繊細な時期だとわかってるなら、適度に開かれた便りに書かないでよって思って笑った。
ふと気になったのは、この便りたちを整理しておいてくれたのは誰なのかということ。書いたのは祖父として、誰かが読めるようにまとめたのは誰? 祖母にきいてみた。「それもおじいちゃんだよ」とのこと。なるほど、便りを発行すると共にまとめていただけかもしれない。けれど、これを孫であるわたしがいつか読み返すことを想定して残したな?そんな気もする。ちょっとじっくり時間をかけて読ませていただきますねおじいちゃん。
ここまで書いて、もっと記録として残すのであれば、自分なりの書くルールを決めないと、ぼんやりした記録になってしまうなと思いはじめる。祖母との記録と、祖父の残した文章と背景にあるルーツや環境を残すこと、どうしていこうか。(2024年6月9日)