住友春翠と日本女子大学

朝ドラ「あさが来た」が盛り上がっているが、日本女子大学については『住友春翠』p.364にもほんの少しだけ記載がある。

又、この東京滞在の間、日本女子大学校創設に関して、創立に尽瘁する某が毎日のごとくに助力を願って来訪するので、川島は漸く応接の態度が崩れ出した。春翠は態度を変えることを戒め、又、このような熱心がなければ事は成就しない、見習うがよいと訓えたという。

文中の「川島」とは、住友家で働く青年である。「創立に尽瘁する某」とは成瀬仁蔵。朝ドラでいうところの成澤氏だろう。ドラマの中だけではなく実際にもやはり熱い人だったようである。川島は住友家で働き始めて二年目で、本家勤務となったばかり。まだまだ緊張していたであろう青年が、思わず態度を変えてしまいそうになるほど、成瀬のお願いは強烈だったらしい。

住友家に対する成瀬の寄付攻勢は、住友寛一『Tへの手紙』p.41にも記載がある。

 僕の子どもの頃、女子大学の校長のN氏が屡々寄付を頼みに来ていた。父は「どうも直接面会すると断りにくくて、どうしても寄付しなければならない事になる」と言っていた。

住友家は日本女子大学創設費として五千円を寄付し、のちに五千円を追加した。「断りにくい」という理由だけではなかなかできない寄付である。成瀬はこのようなお願いを、住友家に対してだけでなく各方面で行っていたのだろう。その後その夢は叶い、明治34年に日本女子大学校が創設される。春翠の兄の西園寺公望が、日本女子大学校の設立発起人、創立委員となった。もしかすると西園寺から春翠にも直接のお願いがあったかもしれないと想像してみるが、今のところ想像でしかない。

(引用にあたっては、新字体および現代仮名遣いにしています。)

#住友春翠 #西園寺公望 #あさが来た

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