《エピソード39・ゲームセット》 弱冠20歳で1000万超えの借金、鬱、自殺未遂、親との確執。からの逆転人生を実現させたリアル話。
達成感
借金を繰り返していた裏側で夢を追っていた。1年と少し。自分の中にあった限界を超えて、初めて出会った自分自身。今まで経験したことのない清々しい気分の中でプロテストに臨む。夢を叶えた人の中で夢を掴もうとしていた僕は、145kmの直球にバットを振り抜いた。
手が触れるその時
おそらく、マウンドにいた名の知れた投手は
テスト生に打たれるわけがないと思っていたに違いない。それでもプロの世界というのはいつクビを切られるかわからないサバイバルゲームだ。テスト生に打たれたらどう思われるかわからない。僕を含めて1人1人が生き残りをかけた戦いなのだ。
その中で投じられた一球を僕は弾き返した。ワンバウンドで右中間のフェンスに当たるツーベース。今まで、この打席のためにどれくらいバットを振ったのかわからないけど、何万スイングをしてきたのちのたった1スイングがボールをそこまで飛ばしたんだ。
忘れることができないくらいのスイング。
ボールが当たった感覚もなくて、今でも残像が残るくらいコンピューターの中の映像のような軌道で手元まできたボール。手元にきた瞬間に止まった。確実に止まったんだ。止まったボールを打ち返す遊びのように、簡単にボールはバットに当たっる。その後二度とあの感覚にはならなかったけど。
プロテストの結果は2打数1安打。
それが満足いく結果なのかそうでないのかはわからないけど、それがその時の持っている力だった。人間は不思議なもので、結果が出たあとに必ずその結果がわかっていたかのような反応を示す。
「もっとできたんじゃないか」「こうしておけばよかったんだ」
その時その時は必死で、限界すら見えるくらいに無我夢中なのに、終わってみれば「もっとできた」と後悔する。でも、未来なんて予測できない。どんな結果が出るかなんて予測なんかできないんだ。予測ができるのなら誰しもがもっと人生をうまく進めるし、理想なんて言葉は存在していないんだと思う。
その、終わってからの物足りなさがまた未来へと足を向かわせるんだろう。そう感じる日だった。
ゲームセット
テストの結果はというと、チームディレクターからこう伝えられる。
「結果はドラフト会議で呼ばれるか呼ばれないからだから」と。
当時、育成契約は存在せず、しかもその年はプロ野球史上初めてのストライキが起きた年だった。新しい球団が誕生し、分配ドラフトも行われた。溢れる選手を各球団が請け負う形になり、テスト生が入団するには相当な力がないと厳しい状況になる。運がよいのか悪いのか。僕の夢は日に日に諦めに変わっていく。
ドラフト会議の当日。
トラックドライバーの仕事をしていた僕はラジオに釘付けだった。トラックで聴くドラフト会議の音声。諦めの中にも「もしかすると」という淡い期待が入り混じる。
「第一回選択希望選手・・」
あの聴き慣れた声とトーン。前年までは何となく聞き流していたあの声も、その時だけは違って聞こえた。テストを受けたのは1球団。その球団の時だけ胸がやけに震えた。
時間が経つ。有名な名前がズラリと並んだ中に、無名中の無名だった僕の名前が並ぶことはなかった。
期待は、期待のままで終わった。と同時に、なんだかやり切ったような感覚と、もう少しのところまで来たような感覚が入り混じり、不思議な気分だった。燃えきる前に、少しだけまた燃料を投与されたあとの炎のように、諦めきれない思いが芽生えてしまった。
すぐそこまで。本当にすぐそこまで夢がきた。いや、指の先に微かに触れるところまではきたはずだ。
小学生の時に描いた夢。挫折して一度諦めた夢。笑われても、何を言われても目指した夢。
指先が触れた瞬間に消えていったその夢はその日、幕を閉じた。ゲームセット。年齢ももう最終年。プロへの道は絶たれた。
僕に新たなチャンスが訪れたのは、その2年後だった。
続きはまた。