川そばに住んでいた友とヌマエビを採った
画像:干しエビ
市中を2本の大きくもない川が流れている。2本とも、「小鮒釣りしかの川」よろしく、淵ともいえない淵でよく魚釣りをした。
東の1本の方は、河口付近でウナギが獲れ、仕掛けがなされていた。そのやや上流では、染色試験場があり、そこから流れてくる排水を目がけてか、30匹はいると思われるシラスが段差を上がろうと藻掻くように泳いでいた。
もう1本の西を流れる川の側には中学時代の友が住んでいた。綺麗な川で、砂もサラサラとし、ヌマエビが獲れていた。川側の家はヌマエビを獲っては干すことがよく行われていた。ザルの上で、干されて赤くなるエビを見かけていた。
友に遊びに来ないかと誘いを受けた。当然のように、親の手伝いのないとき、遊びに出かけ、二人でヌマエビを掬い上げるように獲った。面白いように獲れたが、小さいエビなので、それほどの収穫があるわけではない。ザルが一杯になれば、友の家に行き、茹でてもらい干した。
遊びに毎日来るわけではないので、友の母が気を利かせて、手持ちの干しエビをくれた。友と赤い干しエビを口に頬張りながら、なんとはなしに話していた。
中学を卒業すると、友は、実家が鉄加工を生業としていたので、工業高校へ進学した。高校を卒業し、しばらくして偶然に街で出会った。友は羽振りがいいらしく、近隣で繁盛していた寿司屋について話してくれた。
「隣町の寿司屋、知っとろうが。」
「あそこの寿司屋、美味しいじゃけん」
名前だけは聞いたことがあった。寿司屋に行く余裕もなかったので、相づちを打つのが精々だった。
後年、車でその寿司屋の前の道を通り、友が話していた寿司屋に行ってみようと考えている間に、寿司屋は引っ越してしまった。さらに、後年、道の駅ができたので、見学がてらに行ってみた。その道すがら、引っ越した寿司屋が大きくなり、店構えもりっぱで、誘いを受けているようだった。
夏に入った頃、その寿司屋に行ってみると、寿司ばかりではなく、和食も提供していた。看板に「イワガキ」とある。釣られて注文した。カウンターで別の料理を注文するとき、板前が「僕らはこの時期よう食べんきに」と「の賜った」。
構わず出されたものは食べる習性を持つ。食べた後も何事もなく後悔もしなかった。看板を出しておきながら「よういうよ」と妻と話した。
友と行った川側を走ることがあった。川は河川改修が行われ、堤防ができていた。友の家も立ち退きにあったのだろう。家の側にあったササだけが残っていた。汽水域に近かった川は一時汚れており、ヌマエビはもう獲れないと察していた。今は復旧中であるが、ヌマエビが戻ってくることは期待できないかもしれない。