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四葉胡瓜(スーヨウキュウリ) をもう一度

子供だった頃、家は野菜を作っていた。夏前になると、キューリが伸びてくる。家で作っていたキューリにはイボが沢山あった。今思えば、四葉キューリではなかったかと思う。

母もキューリをよく料理に使っていた。母はいつもキューリを料理するとき、キューリの頭を8ミリ程度切り取り、本体のキューリの切断面に、切り取ったキューリを宛てがい、灰汁を取るかのようにクルクルと回していた。

キューリが成長し、もう少しで収穫できる頃に、畑に出てみた。残念ながらまだ成長途上で、12センチくらいだったろうか。家に持ち帰り、先端を切り取り、クルクルと回した。少しネバリのある汁気が出ていた。水で洗い、そのままかぶりついた。歯切れの良い音がし、熟れかけのキューリの香りが伝わってくる。

ボリボリと音がしながら瞬く間に喉を通り越していった。そのキューリは少し青臭いが、その青臭さには清廉な香りが漂っていた。新鮮なキューリの香りが脳裏に刻み込まれた。

それから数十年経って、家庭菜園を始めた。キューリは定番の野菜である。目論見通りキューリが育ってきた。妻が作るキューリの料理が増えてきた。新鮮なキューリはやはり美味しい。妻はタコを料理するのが好きである。タコとキューリの酢のものは定番料理である。

作っていたキューリにはトゲがない。スルッとする肌をしている。2,3年後、新聞でトゲのあるキューリを紹介していた。「四葉キューリ」とある。

(ああ、これか)

子供時代のキューリが蘇ってきた。(来年は四葉キューリだな)心に決めた。

翌年、四葉キューリの苗が売られるのを見つけた。早速持ち帰り、家庭栽培にあたる。夏前にキューリが育ってきた。キューリが10センチを超えた頃、妻にお伺いを立てた。

「キューリ、収穫して、食べていいかな?」

「まだよ、小さいでしょ」

すごすごと引き下がる。そうこうしているうちに、キューリは成長してしまった。妻の好きな長さになり、酢の物として食卓を飾る。

家庭菜園ではそんなに収穫があるわけではない。瞬く間に夏が終わった。

翌年、同じようにキューリを植えた。小さい畑を2カ所に分けて作っているので、連作を避けて別の畑に植えた。キューリが育ってきたが、希望の長さになるまでは時間が掛かる。しかし、希望の長さになると、キューリは瞬く間に長くなる。収穫の機会を逃してしまった。

そのうち、ツツジの鉢が増え、ツツジが育ってきた。収納場所が狭くなり、小さい家庭菜園はたちまちツツジが占領してしまった。もうキューリの出番はなさそうだ。妻も料理の幅が狭くなっている。

栽培の可能性がなくなると、子供時代のキューリの食感と香りが蘇ってくる。今年は機会が訪れそうにない。来年はツツジを一部移動して、せめて四葉キューリの栽培だけは行おう。今度は妻に収穫していいかどうか尋ねたりはしない、そう心に決めた。