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ムニンツツジ物語

画像:小石川植物園は東京大学大学院理学系研究科の附属施設のムニンツツジから。

* * *以下、冒頭部分は仮説です。

被子植物は恐竜が闊歩する時代に多様化が進み、やがてムニンツツジの祖先が(白亜紀末期:6000万年前)ユーラシア大陸で誕生する。ムニンツツジの祖先は、小笠原諸島が誕生した4500万年前以降しばらく経過(島に有機物が増加)して、風か海流に乗りやってきた。小笠原諸島は大陸とは独立した「海洋島」であり、ムニンツツジは、火山活動に伴う地質を背景に、独自の進化を遂げる。

ムニンツツジはそれなりの数が生育していた。昭和50年(1970年)代の終わり頃には父島の躑躅山に数株が自生していることが確認されている。1830 年代以前からノヤギが持ち込まれ、ノヤギがムニンツツジを食べたり、角研ぎに利用する。そのため、ムニンツツジの数は減少し、自生個体は父島の躑躅山で1本にまで減少する。絶滅危惧種(絶滅危惧種ⅠA 類(CR))*指定以外の何物でも無い。

*絶滅危惧ⅠA類(CR):近い将来に野生絶滅する危険性が極めて高い種。CRはCritically Endangeredの略。環境省絶滅危惧種検索https://ikilog.biodic.go.jp/Rdb/envによる。

この危機に、東京の小石川植物園で種子を蒔いて増やし、現地に戻す活動が行われ、現在も続いている。父島の躑躅山、赤旗山には、東京大学附属植物園が植え戻しを行った個体(数十株の植栽株)が生育している。

注)環境省「自然環境・生物多様性」(ムニンツツジ)http://www.env.go.jp/nature/kisho/hogozoushoku/munintsutsuji.html
ムニンツツジについて、『保護増殖事業計画』がPDF様式http://www.env.go.jp/nature/kisho/hogozoushoku/pdf/jigyoukeikaku/munintutuji.pdfで示されている。

*「1984年以降、小笠原亜熱帯農業センター及び農業試験場(現:農林総合研究センター)で増殖方法等の研究が行われ、播種及び挿し木による増殖法が試みられ、やがて確立した。」とある。しかし、1984年から東京大学付属植物園(小石川植物園)で行われてから、1986年からは東京都事業として行われ、1994年以降は環境省事業として行われている模様。2006年以降、植栽は休止されている。注)『環境省事業』32頁。

農業センターで育てられていたものは赤旗山の山頂付近に囲いをして植えられている。注)「島旅 小笠原諸島/父島編 ~森&山を歩く~」:https://4travel.jp/travelogue/10252257

当初、本土の土壌での培養が試みられたが、成功せず、小笠原の土壌で栽培したことで、栽培が可能となった。ムニンツツジは他のツツジよりも酸性度の高い土壌を好む、小笠原父島の土壌(ラテライト:正確には細粒赤色土)はもとより、おそらく土壌中に存在するClavaria菌と微量要素も重要な要素となる。植物の中には長く生存するためには菌との共生が重要である。ツツジは菌根菌と共生していることが知られている。

父島(躑躅島と赤旗山):https://goo.gl/maps/8VXtYZxnHGbtvUsu8

ーーー参考文献

・下園文雄2003年「講演会を終えて」『小石川植物園後援会ニュースレター』第25号(10月)、4-5頁。