采女・清らめ(きやらめ)
昔々、その昔、奈良時代の頃です。※ちょっと矛盾があるかも。
朝倉の庄に、桜子がいました。豪族の娘でした。容貌は、まるで春の花が咲き誇るように美しく、清らかでした。
豪族は識見高く、古くから伝わる医術や薬草の知識に長けていました。桜子も小さい頃から父親の薫陶を受けながら、成長していきました。桜子は純粋で、清らかさが一段と引き立っていました。いつしか、「清らめ(きやらめ)」と評判になっていました。
豪族の元に、宮廷の使者が訪れます。評判を聞きつけて来ていました。使者は桜子の優れた知識と技術を見込んでいました。父親の頼みも受け入れ、宮廷に設置されている「典薬寮」に勤めることにしました。
桜子は、その優れた知識と献身的な態度で、典薬寮で働きだし、寮内外の人々から深い信頼を寄せられていきます。
※典薬寮(典薬寮は、宮廷内で薬草や薬剤の管理、製造を担当する役所)
ある日、皇后が重い病に倒れました。その病は、体温が急激に上昇し、激しい頭痛と吐き気を伴う「熱病(ねつびょう)」と呼ばれるものでした。症状は次第に悪化し、皇后は寝込むことが多くなり、典薬寮の医師たちもその原因や治療法を特定できずに手をこまねいていました。
桜子はこの深刻な状況を見過ごすことができず、自らの知識と経験を駆使して皇后を救う方法を探し始めました。典薬寮に保蔵されている古い文献を徹底的に調べ、山奥に生える薬草がこの熱病に効くことを突き止めました。しかし、その薬草を手に入れるためには、険しい山道を越えなければなりません。桜子は決意を新たにし、危険を顧みずに山へと入って行きました。
数日後、桜子は無事に薬草を手に入れ、宮廷に戻りました。彼女はその薬草を使って、薬を調合し、皇后に飲ませました。奇跡的に、皇后の体温は正常に戻り、激しい頭痛や吐き気も収まり、次第に回復へと向かいました。
その後、宮廷では政治的な騒乱が起こりました。桜子は危険を避けるために宮廷を逃れる決断をしました。京都から西北に丹波篠山があり、彼女はそこに身を隠すことにしました。
野宿したり、田んぼの粗末な納屋に留まったりして、不安な日々を送っていました。ある朝、桜子は地元の農家の青年と出会いました。この青年は、まじめでしたが、農業に関する知識や技術に困っていました。
桜子はその知識を生かし、農業の技術を教え、典薬寮から密かに持ち出していた黒豆を植え、その栽培に力を入れました。丹波篠山の気候と土壌に最適な品種を選び、栽培方法を工夫することで、桜子と青年は黒豆の栽培に成功しました。この黒豆は後に「丹波の黒豆」として名物となり、多くの人々に愛されることとなりました。
桜子の清らかで献身的な姿勢と知識が結実し、丹波篠山の地は豊かな農産物で知られるようになりました。桜子の名は、宮廷の伝説だけでなく、丹波の地にも深く刻まれ、長く語り継がれることとなりました。
---続くかな、形を変えて。