青春編:父の手
「しもやけ ふくれて お口があいた
すかしてみたらば 夕日があかい」
サトウハチロウ作詞・古関裕而作曲「風の子」コロンビアレコードの1節である。子供頃、この童謡が耳に付き、覚えるとはなしに覚えた曲である。すべて覚えているわけではなく、ここの1小節は特に記憶に残っている。
父は戦後まもなくして、家具屋を始めた。家具屋と言っても当時の学校の机や椅子などを作り、注文に応じていた。修繕も多く、その要望にも応えていた。
洋風化に伴って椅子やテーブルの注文を受けるが、修繕も多く、手が荒れていった。10年も経つと、両手の平にアカギレが多数できていた。もともと手が荒れやすく、メンタム(近江兄弟社)が必需品だった。
1日の仕事が終わり、ようやく手に入ったテレビを見ながら、寛いでいた。同じテーブルに付き、ふと父の掌が目に入ってきた。少し黒ずみ、アカギレの縁が盛り上がっている。多数のアカギレの中に、最近できたと思われるアカギレが、文字通り赤い電球に透かされて浮かんでいた。
貧しい中でも、カメラを買ってくれた。頬杖を付きながらテレビを見る姿を写真に撮った。後年、その写真を母はいたく気に入り、折に触れては見ていた。