マヨネーズが来た
中学の時、2年生だったか、理科の時間にマヨネーズを作ることになった。教室で、卵、酢、食用油が用意されていた。卵は、卵黄のみ使用するものと全卵を使用するものがあるらしいが、どちらが用意されていたかは、今はもう忘却の彼方にある。
用意された卵に酢を混ぜ合わせ、油は一緒に混ぜてはだめだという教えを守りながら、少しずつ油を入れて混ぜ合わせ、ほどよい粘り気で完成させた。
・あきやまやすこ「しょうゆマヨネーズご飯 #あの日の景色 あの日の味」https://note.com/yakiyama/n/n795a7723c082
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マヨネーズは始めてではなかった。中学生になろうとする頃のことである。岩国の米軍基地近くに伯母(母の妹)が住んでおり、伯母の夫が米軍基地に勤めていた。夏になると、川下地区で祭りが開催される。多くの人で賑わい、何をする訳でもなく、群衆に入り、ただ歩いていた。
祭りが終わり、伯母の家で食事をする。そのとき、マヨネーズが瓶で出て来た。青と黄色のラベルが印象に残っている。マヨネーズの色は幾分白っぽかった。料理にマヨネーズが添えられていた。腹を空かせた小学生にはほとんど感激もなく、どのように食べたかも記憶にはない。
いつの間にか、マヨネーズは食卓に用意されていることがあった。マヨネーズを味わうわけでもなく、食べることだけが仕事だった。しかし、自然と食材の一つとして馴染んでいた。
大学生になり、「金欠」になることが毎月のように訪れていた。当時からご飯はそれほど食べる方ではなかったが、背に腹は代えられない。ご飯を炊き、マヨネーズを用意し、醤油を掛けて、混ぜ合わし、食べた。決してまずいものではなく、むしろ好みだった。
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結婚して、妻は知らないうちにマヨネーズに馴染んでいた。しかし、ご飯は大好きだが、マヨネーズを好んで食べる方ではなかった。子供は二人とも海苔がすきだった。子供の食欲が落ちたとき、妻は海苔とマヨネーズと醤油を用意した。
「お父さん、お願い。」
お皿に、マヨネーズに醤油を混ぜ合わせる。別のお皿に海苔を盛り、子供の前に置いた。子供はツバメの雛のように口を開けて、海苔をマヨネーズ醤油を付けて運ばれるのを待つ。代わる代わる、海苔をマヨネーズ醤油に付けては食べさせる。
食事が子供の思うようなものでないとき、子供は自分で食べられるのに、母親に用意された海苔とマヨネーズ醤油で、父親に口に運ばれるのを楽しみにしていた。
ーーーコーヒーもほぼ同じ時期に入ってきた。