Short Story:黒豆の秘密
小十朗は酒を飲むのが好きである。裏寂れたような飲み屋を探すことを趣味のような楽しみにしている。渋谷には「夢二通り」がある。名前に惹かれてそぞろ歩いて行く。夢二通りの先に霞を濃くしたような、微かな光だまりが見えた。
異界のような雰囲気がある。飲み屋街の奥まったところに、いつもは灯りは点いていない店があった。しかし、訪れる人の夢が清廉な時、「夢屋」と記された提灯に灯りが点る。
小十朗は悪ガキだったが、心に忠実さがあった。小十朗には「夢屋」の提灯が見えた。提灯の灯りに誘われるように足が自然に向かう。
妖しげな雰囲気の老婆がカウンターの向こうで、表情を壊さずに小十朗を迎える。老婆は本当に年を取っているかどうかは分からない。
老婆は帰り際、テーブルに小皿を置いた。小皿には魔方陣と思われる幾何学模様が施され、中央に黒豆が一粒置かれている。
「この黒豆を持っていきなさい」
小十朗の仕事中、電話が掛かってきた。電話の主は、高校時代の先輩で、同じ会社に就職していた。先輩は出世コースを歩んでいる。先日まで、シンガポール支店に赴任していた。
先輩は新しいプロジェクトに抜擢され、その準備のために、一時的に秘書室配属となっていた。プロジェクトチームには、選抜されてもう1人の女性が配属されていた。その女性は「ビジネス戦闘スーツ」とも言える服を着用し、スニーカーを履いている。仕事の苦悩を抱えながらも、溌剌としていた。
新プロジェクトの立ち上げ準備が終わりに差し掛かり、先輩は小十朗を誘い出した。小十朗は伝えられた小料理屋に出向いた。先輩と向かい合わせに女性が座っている。先輩に女性を紹介された。
「コジ、君は黒豆が好きだと言ってたよな」
「彼女、坂井幸恵さんと言うんだが、丹波篠山の出身だよ」
「よろしく・・・」
女性の醸し出すオーラに、小十朗は挨拶するのがやっとだった。幸恵は軽く会釈する。
先輩は饒舌だった。小十朗と幸恵は相づちを打つ役目に集まったように見える。しかし、先輩は小十朗が幸恵に関心を寄せていることはすぐに見抜いていた。酒の勢いを借りて、先輩は二人を交互に見ながら、
「君らは付き合いなさい」
「コジ、黒豆を持っているだろう」
「ここに出しなさい」
先輩は小皿を用意させていた。小十朗はポケットから黒豆を取り出し、皿に置いた。黒豆は妖しく光るように見えた。幸恵は黒豆を見つめていたが、ヒョイと掴んで口に運んだ。
先輩はさらに饒舌になった。
「結婚するときには、媒妁するからな」
数年後、小十朗は幸恵と結婚した。小十朗は幸恵を愛し、幸恵は小十朗に優しかった。
しかし、幸恵はキッチリした性格で、何事にもこだわりがあり、少しきつかった。さらに、そのきつさは、子供ができる度に強くなっていった。
(幸恵は優しいけれど、少しきついな)
小十朗は自分を納得させるように呟いた。
(これで、いいのだ)
<了>
(1173字)
#冬ピリカ応募
*仲人は2000年以前からあまり見られなくなった。
人の絆はあるときひょこっと結ばれる。絆の有り様は多様であろう。
小十朗と幸恵は「黒豆」を通じて出会い、何事にも忠実な小十朗が誠意を持って幸恵と結婚する。幸恵は社会的背景に抗いながら仕事一途な戦闘女子として活動している。幸恵は小十朗に優しさを持ち、結婚生活に筋道をつける。
幸恵は、途が歪まないように筋道をつけ、守ろうとし、拘る。そこに小さな軋轢が生じるが、小十朗はそれを受け入れ、幸恵の価値を尊重する。