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習作:ふみきり
その昔。
夕暮れ時、静かな駅の近くにある踏切を渡る。毎日のように通る道だが、渡り終えて、足が止まった。後ろで、警報音が鳴り響き、白い遮断機がゆっくりと下りていく。
その音が耳に届き、足元に目を落とす。向き直ると、背中にふと感じる気配があった。
後ろを振り返ると、遠い遮断機の向こうに一人の女性が立っていた。黒いワンピースを着た淑女。髪は肩までの長さ、風にそよぎそうな佇まい。その姿は、どこか儚げで美しい。
「…え!」
思わず声がでた。驚きと共に、彼女と目が合った。
彼女は軽く頷く。
その風情は、どこか懐かしく、心地よかった。彼女は微笑んだが、どこか不安げな表情を浮かべていた。まるで、何かを待っているかのように。
「もしかして…?」
思わず口にした言葉に、彼女は少しだけ首をかしげる。
「ええ、あなたが覚えていてくれるとは思っていなかったわ」
その言葉に、鼓動が走り、心臓が高鳴った。何か心当たりが刺されたような気がする。どうしても思い出せなかった。彼女がどこかで会ったことがあるような気がする。ただ、その記憶が霧の中に隠れ、漂う。
「昔あなたとこの踏切でよく待ち合わせてたわ。覚えていないかしら?」
私は一瞬動きが止まった。
(踏切で誰かと会う?)
そういえば、この場所に来るたびに、昔の記憶が湧き上がるような気がしていた。あの頃、
(どこかで彼女と待ち合わせたことがあるのだろうか…?)
(…あなた、どこかで見たことがある)
脳裏を掠め、記憶が広がる。確かな記憶がよみがえる。微笑みがこぼれる。
微笑みに誘われて、乙女はその視線を外し、少しだけ遠くを見るような表情を浮かべた。
「そうよ、私たちは昔、ここでよく待ち合わせたものね」
その瞬間、記憶の隙間が一気に埋められた。確かに、子供の頃、何度もこの踏切で友達と待ち合わせをしていた。その中に、ひときわ印象深かった女の子の姿が思い出される。それは、遠い昔、私が青い春の時代、初めて異性を感じた女の子だった。
「どうしてあなたは今もここにいるの?」
私がそう尋ねると、乙女は微笑みを浮かべた。
「私は、ずっとここで待っていたのよ。あなたが来るのを」
その言葉に胸が締め付けられるような感覚が走った。なぜか、彼女は私に何か大切なことを伝えようとしているような気がした。もしかしたら、私はあの頃、何か大切な約束をしていたのかもしれない。でも、何も思い出せなかった。
列車の音が遠くから聞こえてきた。その音に合わせて、踏切の向こう立つ乙女の姿がぼやけていくような気がした。まるで霧の中に消えるように、彼女の輪郭が薄れていった。
「…待って」
私は思わず足を踏み出し、彼女の方に近づこうとした。が、その瞬間、警報音が鳴り響き、遮断機が下りてしまった。列車が近づいてくる音と共に、乙女の姿は完全に消えていった。
踏切が再び静けさを取り戻した。もう、彼女の姿はそこにはなかった。ただ、風に舞う一枚の桜の花びらだけが、私の前に残されていた。
列車が通り過ぎ、踏切が開く。その先に彼女はいなかった。踵を向けると、再び歩き出した。
心の中に、どこか遠くに消えてしまった思い出が蘇っていた。
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