
この海辺のどこかで:上関
*tentativeだが。
千珠は恭平(きょうへい)から招待を受けた。早速、本を5冊『井上ひさし短編中編小説集成』を買い込んだ。新幹線で行くつもりだ。上関(かみのせき)は吉田松陰が立ち寄り、坂本龍馬も立ち寄ったという。乗車中に読み進めた本を降りたとき宅急便で自宅へ送り届けた。
山口県には下関、中関、上関がある。上関は山口県の東側の半島の先にある。半島までの途中には白鳥古墳があり、古くから人が住んでいたらしい。
上関海峡を前にして、呟くように話す。
「上関海峡には村上水軍の基地があったし、」
「ここ、朝ドラ「鳩子の海」で舞台の一つだったんだよね」
「向かいの長島から室津半島への渡船があるよ。通学にも使われていたらしい。」
「ここの海の深いところにアオリイカがいるんだけど、なかなか市場には出ないだって。モンゴウイカに似てるけんどね」
千珠は聞くとはなしに聞いているだけ。目は瀬戸内海の海面のきらめきでまぶしそうだ。
室積半島を車でぐるりと回っていく。右に平郡島が見える。恭平に同級生の知人がいるという。知人は、若い時、近隣の地方都市に移住していた。そこで結婚し、妻は小学校勤務で、共働きだった。
「50数年前の話だけどね」
千珠には恭平の感慨が分からない。
恭平は丸く埋め立てられた土地の側に車を止めた。「池の浦」というらしい。恭平は感慨を通り越して寂しげな表情を見せる。
「ここ、平家が闘いに敗れて多くの船がひしめき合うように寄せていた・・・」
それほど広くもない湾だった。もう今は湾の淵がかろうじて分かるだけで、陽だまりの中にさらされている。
「どんな経緯を辿ったかは分からないけど、中国山地にも平家に関する地名や住居跡などが点在しているよ」
千珠は岩国駅に降り立ち、駅前の本屋で『地球にちりばめられて』を見つけ購入した。購入するとき、千珠は思わず(分かっているなぁ、この書店)と呟きそうになった。
岩国空港の側は、米軍の岩国基地だが、オバマ大統領は在任時広島の平和公園にここからヘリで飛んだという。恭平は単にミーハーだったが、どこか思いを馳せるまなざしをしていたという。
千珠は飛行機で軽く眠り、夢を見たという。スマホのメッセージにはそれ以上書かれてはいなかった。
千珠は電車を乗り換えながら、購入した本を1冊読み込んでマンションに着いた。
*多和田葉子(2018年)『地球にちりばめられて』講談社文庫。