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さくらの来た日から

キングがなくなって1年が過ぎていた。散歩は毎日しているが、お伴のキングがいないと、どこか物足りない。

「新しいワンちゃんをかおうかね~。」
「そうだね。」

取り留めもない会話を毎日する。そんなある日、新聞の販売店の方と知り合いになる。勧誘に来たわけではない。立ち話をするとき、やはり新聞の話になる。朝刊を取ってはいた。日頃から夕刊も読みたいと思っていた。

夕刊を取ることになった。販売対象区域外なので、留意しておくように言われた。毎夕、夕刊が楽しみになった。2ヶ月が経過した頃、「里親探し専門店オープン」の記事があった。副題は「犬もモラルも捨てないで」とあった。里親を待つ子犬の写真が掲載されていた。

「行ってみようか。」
妻に話す。今までどちらかが「飼おうか」というと、「うーん」とどちらかが肯定しない。このとき、初めて一致した。山口市で会議あるので、その後、小倉に行くことを決めた。

こういうときに限って会議が長引く。その会議はほとんど予定通りで終わることが多かった。伸びても15分程度だった。1時間過ぎても会議は終わらず、時計を気にしていると、主催者側の一人が気になりだしたのか、焦りの色が見え、時計を気にする。

1時間30分過ぎた頃、ようやく会議が終わりに向かって動きだした。終わるや否や挨拶もそこそこに自動車に。
「長かったわね。」
「長引いちゃって。」
小倉に向かってひた走りに走る。閉店時間の4,5分前に到着し、里親の旨を伝えると、犬の場所に案内された。

他の犬は吠えたり、逃げたりするのに、ダルメシアンに似た白い茶淵色の斑点がある犬だけは、吠えもせず、ボールのようなおもちゃに夢中で遊んでいる。

なかなか決まらないなと踏んだ店員は、生後間もない小さい黒犬の子を前に出した。黒い子犬は「僕をもらって」とばかりに一声吠えた。こんな小さい子はもらい手があるだろうと思い、決まる内に大きくなってしまいそうな茶色の斑のある白い犬を「いただきます。」と告げていた。

諸手続を済ませ、ドッグフードの大きめな袋などを当面必要と思われるグッズなどを買い、犬と共に、一路東へ車を走らせる。

妻は皿うどんが好きだった。九州圏内には皿うどんがある。妻は屋台風の店の焼きそばでいいというのに、サービスエリアのレストランで食べようと強引に行った。子犬は箱の中で待たせている。今考えると、心細かったに違いない。この件は後々ことあるごとに妻になじられる。

しかし、レストランに行ってみると、土曜日とあって、満員だった。なかなか料理が出てこない。ここでも、妻は帰ろうというが、折角なので、妻の「なじるつぶやき」を聞きながら待つことにする。ようやく食事を済ませ、車に帰ってみると、暗い車の中で子犬が寂しそうな表情で待っていた。その表情は今でも思い出すことができる。

次のサービスエリアで用を足すと、子犬を連れ出すと、戻してしまった。汚物を掃除し、再び車で東に帰る。もう子犬は妻の膝上に抱えられている。再び、子犬は戻してしまった。妻の服が汚れてしまったが、タオルで拭き、なんとか帰宅した。

子犬は家に帰ってみると、家に馴染んでいるかのようにおとなしい。その日から2週間以上声を発しなかった。不思議に思っていたが、20日を前にしてようやく吠えた。おとなしい犬だった。

名前をどうするか、決めかねていたが、下の子が家に帰ってきていた。子犬の肉球を見たとき、ピンク色に気がついた。下の子は思いついたように叫んだ。
「さくら」
洋犬風なのに、和風の名前が付いた。

さくらが来たので、散歩が復活する。初日はさくらを抱いて団地の下の交差点まで連れて行き、家に帰った。翌日も抱いて出て行き、帰りも抱いて帰った。3日目にはさくらを抱いていき、帰りは歩いて帰った。周りを確かめるように歩いて帰る。翌日からキングの散歩コースを歩いて行く。

しばらくすると、キングの散歩コースからはみ出し、遠くまで行こうとする。キングの時には、犬の大きさに比べると、散歩時間が短かった。もう少し散歩してやれば良かったのに、いつも思い出す。さくらが行きたいなら大回りでと散歩する。キングがいれば、羨ましがるだろう。

さくらは家に来てまもない日に家から一人で出て行った。どうもお隣さんが気になったのだろう。すぐに気がついたが、なかなか帰ってこない。気をもんでいると、ようやく帰ってきた。さくらはお叱りを受ける。頭を叩くわけにはいかないので、お尻を叩く。それも軽く。それでも、さくらは怯えて、もう2度と出て行かなくなった。

さくらが来てからしばらくして、夕刊が配達できなくなったと連絡があった。あの記事はなに。

お隣もワンちゃん(ももちゃん)を飼うことになった。交流している間に、ももちゃんがやってくるようになった。さくらとももちゃんは仲良く暮らすように遊ぶ。

さくらも車は平気になり、よく散歩に遠出していた。しかし、中年を過ぎた辺りで、車が道路の小さな窪みに落ち、乗り越えた。そのとき、大きな音がしたので、さくらは驚き、それからは車に乗るのを嫌がりだした。

春雷が鳴り響く頃、さくらは猛烈に怖がりだした。身体をブルブル震わせ、心臓は張り裂けんばかりにドキドキしている。しっかり抱き寄せても収まらない。遠雷になる頃ようやく落ち着きを見せる。

それから1年が過ぎても、さくらに衰えは見られない。その年は春雷も遠くで鳴るだけだった。家の前に植えていた桜も、大きくなり、さくらがよくその下で遊んでいた。春になり、今年も桜が咲いた。その桜の木の下でいつものように遊んでいた。桜が散ってしばらくすると、ツツジが咲き出した。ツツジを見回りながら、さくらと一緒に遊ぶ。

SNSで、さくらを気に入ったお姉さんが東京から会いに来るという。さくらに、
「お姉さんが来るよ。」
と話しかけても、不思議そうな顔をしている。約束の日が近づいてきた。

しかし、さくらの様子が変だ。弱々しい動きを見せる。妻が太極拳の練習日に迷う。
「行くのをやめようかな。」
迷ったあげく、練習に出かける。

仕事をしていると、気になり、階下に降りた。さくらは窓際の籐椅子で横になっていた。さくらに近づき、撫でていると、弱々しく起き上がり、身体を伸び伸びさせた。その後すぐ、小さく痙攣し、動かなくなった。さくらの身体を整え、妻に電話する。

「さくらが亡くなった。身体が温かい内に撫でてやりなさい。」
妻が帰ってきてさくらを優しく撫でる。
「さくら、頑張ったね。ありがとう。」

さくらが亡くなったことをお姉さんに伝える。お姉さんは来るという。3日後、東京からお姉さんがやってきた。空港にはクリスマス時季を前にしてサンタクロースが待っていた。

お姉さんを、さくらの散歩していた付近に案内する。お姉さんは気落ちしていたが、さくらの暮らしていた雰囲気を感じ、確かめて飛行機で帰っていった。

ももちゃんはさくらが亡くなってからも遊びに来ていた。どこか物足りないのか、手持ち無沙汰のように遊んでは、広く感じる籐椅子で寝る。1年3ヶ月後ももちゃんも亡くなった。

ーーおわり