ここはどこ:東海道54次じゃないよ、東海道57次へ!・髭茶屋追分→「追分」


「追分」でShortStory。※ブラタモリとは別筋、「追分」の意味をずーっと考えて来ていた。時代を遡って「追分」を考えてみる。

昔むかし(牛馬の前もあると思うが)、緑豊かな牧場が広がる、小さな村から、力強い黒毛和牛を連れた御者二人が出発した。

目的地は二つ。生い茂る森の角に木の道標が、東と南へと続く道を指し示す。二人の御者は木の道標で別れていく。

東へ向かう御者は、故郷を思いながら鞭を握りしめ、南へ向かう御者は、新しい土地への期待を胸に、それぞれ道へと足を踏み入れた。

道中、御者たちは、様々な風景を目にした。広大な野原、深い森、そして小さな村々。

東と南の、各々の村の「市」では、牛馬と引き換えに、新鮮な野菜や手作りの品々が用意されていた。村人たちは、交換のために集まった市場で、互いの安否を尋ね合い、賑やかに過ごしていた。

それぞれの道を進み、帰る御者たち。彼らは、再び「追分」で合流。彼らは単に牛馬を運ぶだけでなく、物資を持ち返り、集落間の情報伝達や、人々の交流を担う重要な役割を果たしていた。