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風の色は何色-2

17年が経過した。

私は文学部を出て、自由出版に勤務した。やがて編集部に勤務し、仕事は忙しかったが、図書館に通い、多くの本を読んだ。次第にテーマが広げられたり、絞られるようになっていた。

その間、何度か引っ越しした。今は勤務地の近くのマンションから仕事に通っている。風の色を感じたことはない。彼からの連絡もいつの間にか途絶えていた。

ピカソ展覧会の広告切り出し

新聞広告が目に入ってきた。展覧会があるという。画家を見て目を瞠った。(彼だ!)会期初日、取るものも取りあえず、展覧会に。

抽象画でも、人物画でもない。いくつかの画から、自然画が目を引いた。風が描かれている。速水御舟の風景画に似ている。(彼がよく話していた風景に似ているわ・・・)

会場に、主催者に伴われて彼が挨拶に来た。風貌は変わっていたが、語り口は変わっていなかった。挨拶の途中、彼は私に気が付いた。目が合った。彼の言葉が一瞬詰まったが、すぐ平常に戻り、挨拶を終えた。

彼は主催者に挨拶して、私に近づいてきた。何も言葉を発しない、私も言葉が出ない。互いに会場の内で見つめあっていた。やがて、彼に案内され、控室に向かう。

彼は言葉少ない。

「遠かったね」

彼は私を見つめるだけ。私も黙して彼を見つめるだけ。二人とも語らず話している。

主催者が彼を促した。彼からメモを渡された。メモは風に乗ったように私の手に。メモには場所と時間が記されていた。

翌日、就業後、彼のメモに従い、カフェで彼を待った。彼と話すが、何を話しているのだろう。何の印象も残らない、淡い水色。ただ、彼が伝わってくる。彼にも私が伝わっているだろう。彼の表情が語る。彼は画廊連合会に招待されていた。小1時間でカフェを出て、彼が背中を残して分かれていった。

1か月後、彼からショートメッセージが来た。会期が終了していた。私の次の休みに会いたいという。私は「これが一日千秋・・・」長く感じた。勤務を終えて、二人で並木道を並んで歩いてはいるが、互いに自分に語る。並木の間をやわらかい風が吹き抜ける。私の髪がなびく。彼が目を止める。会ってから少し伸びていた。頭の後ろで髪を括り始めていた。

約束したわけではない。
(しかし、・・・)
失われた彼女の時を取り戻すことなどできない。

互いに自分に語りながら、並木を抜ける。空が開き、風がそよいでくる。並木を抜けたとき、陽光が降り注ぐ。歩くうち、彼が気が付く。小粒の雨が霧のように降り注ぎだした。

「晴れているのに・・・」
私は呟き、立ち止まり、手で霧雨を受ける。
彼も立ち止まり、呟く。
「狐の嫁入りかぁ」
彼と私は思い出した、現実のものとして、ようやく自覚できる。
「一緒に暮らさないか」
彼が向き直り、私を見つめる。優しく微笑む表情だ。
「はい・・・」
私は小さく応える。

それから半年ちょっと過ぎた。

彼は軽井沢の古い別荘を買い取り、簡単な改装で、住めるようにした。私は仕事をリモートに切り替えていく。すでにライターの仕事に比重を移していた。マンションを引き払い、軽井沢へ。

軽井沢は、涼しく清らかな風土。彼は毎朝散歩を欠かさない。散歩の後、彼は朝食時にコーヒーを淹れる。かぐわしい香りだ。時に、私はコーヒー片手に仕事場に。雰囲気に似合わないロバスト(旺盛な)な働きぶりだ。

ある日、休日の朝、彼が散歩に誘う。林道に入れば、さらに涼しく、清らかに感じる。樹木の間隔は意外と空いている。時に、風が吹き抜けていく。来たことのない場所に来た。珍しく木立が切れて、片側に木立がない。斜面だった。山すそに向かって広がっている。

二人は立ち止まり、木立の切れている方向を見ようとした。上から空気球が降りてきて、二人を包み、斜面に広がり、透明に広がる。

彼はふと立ち止まり、踵を返した。コーヒーの香りが二人を包み、放散する。

「さぁ、仕事・・・」彼は呟くようにアトリエに。私は2杯目のコーヒーを片手にデスクに。

軽井沢の一風景・GoogleMap
軽井沢の一風景・GoogleMap