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読書メモ:人力・動力:ペリーがやってきた、the steam navy and the shell gunを携えて+蒸気機関車の模型

画像:電信装置(サミュエル・モリソン/後藤優訳(1968)『ペリーと日本』原書房から。国会図書館デジタルコレクションにあり。)※郵政博物館にも電信機の着色図がある。
・Matthew C. Perry:ペリー(提督Commodore;1794-1858)
・the steam navy:蒸気機関
・the shell gun:大砲
・ "Old Bruin"と喩えられているが、「老いた熊」と言うよりも「クマ爺」(絵本に出てくるような年老いた熊)か。1854年はペリー60才、来航時は没する4年前。明治維新(1868年)を耳にすることもなく、没している。

ペリーがもたらしたもの。1 蒸気機関車の模型・走行実演

江戸幕府の役人の前で、蒸気機関車の模型を走らせる。喜々として乗車する武士(昌平坂学問所の河田八之助の記録)が描かれている。(未見)
それ以前、江戸時代末期1853年(嘉永6年)、ロシアのエフィム・プチャーチンが「蒸気で走る模型」を披露している。国内産としては、1853年(嘉永6年)または1855年(嘉永8年)に記録がある。

ペリーがもたらしたもの。2 海軍システム
・蒸気船(10艘)+砲門付き・・・>動力(火薬も)
砲門をぶっ放している。

サスケハナ号・フリゲート艦(1850年建造)船長257m(来た船では最長)・2450トン・砲門6門+3、乗員300名(来た中で最大は380人)


ペリーがもたらしたもの。3 電信装置
電信網を設置し、模擬実験を行っている。(エンボッシング・モールス電信機を使い、1kmも離れている場所同士で通信)

電信網(通信の模擬実験を行った)

ペリーがもたらしたもの。その他あり(省略;植物に関するものは興味を掻き立てるが)

日本側が饗応したものに、力士がある。・・・>人力
もちろん、食事などを提供し、水兵の死者を葬る儀式などで融和が進んでいる。

相撲取り

アメリカ・ペリーは「動力」をもたらし、日本は「人力」も一つの象徴的な要素だった。

※多くのことが書かれているので、あまりの単略化は事実を伝えないかも知れない。しかし、彼我の差異を表すのに、「人力」と「動力」は重要な2要素である。


・サミュエル・モリソン/後藤優訳(1968)『ペリーと日本』原書房。
・原題:Samuel Eliot Morison (1967), "Old Bruin" Commodore Matthew C. Perry, 1794-1858.
はしがき(Morison, Samuel Eliot, 1887-1976)
"Old Bruin" : Commodore Matthew C. Perry, 1794-1858   :  the American naval officer who helped found Liberia, hunted pirates in the West Indies, practised diplomacy with the Sultan of Turkey, and the king of the two Sicilies, commanded the Gulf Squadron in the Mexican War, promoted the steam navy and the shell gun, and conducted the naval expedition which opened Japan.

*Google翻訳(ほぼママ)
「オールド ブルーイン」: コモドール マシュー C. ペリー、1794-1858 年: リベリアの発見を支援し、西インド諸島で海賊を狩り、トルコのスルタンと外交を行い、2 つのシチリアの王として湾岸を指揮したアメリカ海軍士官 メキシコ戦争では蒸気艦隊と砲弾を推進し、開国海戦を行った。」

・もう一つの訳本。
・サミュエル・エリオット・モリソン/座本勝之訳(2000年)『伝記ペリー提督の日本開国』双葉社。