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豊福家のよろこび

*「豊福家」という言葉は見当たらないが。恰幅のいい人。
*「艶福家」ではない。「良人」ではある。
*「艶福家」(えんぷくか)=「一般的に女性に関する魅力や恋愛、色恋沙汰に積極的な人物を指す言葉」とある。昔はよく使われていた?
*「良人」=今や、文学作品に見られる古典的表現で、「夫」の言い換え。

もう昔と言ってよい、昭和30年代(1955年代中頃)。

テレビドラマで上流階層の家庭のシーンがあると、必ずと言ってよいほどクラシックな家具が配置されていた。フランスのクラシック家具ロココ風の様式を基調とし、現代風にアレンジしていた。格調は高く、時に目にしていた。

その会社の製品を父は売ってもいた。連れていかれるように、仕入れに同行していた。担当の係長に雑談に付き合わされた。

係長は恰幅がよく、酒をよく飲むのか、頬の辺りは酒焼けしていた。父は酒は飲めるのに、飲まず、ケーキに走っていた。といっても、それほど食べる訳ではなく、ケーキ屋の顧客を贔屓にしており、別の顧客に折に触れ、届けていた。自分では、ご飯をあまり食べず、副食を多く食べていた。

自慢げに、係長に副食の良さを吹聴していた。ところが、係長は「ごはんを山盛り食べるのが「美味しい」でしょう」気のすむまで食べられる幸せを誇張もせず話していた。見ると、腹は布袋さん。頬の酒焼けとマッチしている。午後三時を過ぎており、すでに始めた帰り支度がネクタイも外している。当時は「恰幅が良い」は誉め言葉に近かった。まさに恰幅がよく、家庭では「良人」だったろう。

会社は郊外にあり、繁華街に飲みに行くこともなく、仕事が終われば、家庭に一直線。家庭では優しい奥さんが良人の好みに応じて食卓を賑わせ、こども達も付き合うように食べていた。テーブルはちゃぶ台ではなく、優雅な食卓テーブルに近かったらしい。会社のものではないといっていた。

その時代からしばらくすると、多くの家庭が飽食となり、晩酌も一般化していた。もちろん、繁華街に繰り出す人たちも多くなっていった。

やがて、ダイエットが話題に上がってくるようになった。