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あの子はたあれ

標題画像:https://www.youtube.com/watch?v=VMcCgQtJjJsから。

あの子はたあれ

あの子はたあれ たれでしょね
なんなんなつめの 花の下
お人形さんと 遊んでる
かわいい美代ちゃんじゃ ないでしょか

あの子はたあれ たれでしょね
こんこん小やぶの 細道を
竹馬ごっこで 遊んでる
隣の健ちゃんじゃ ないでしょか

あの子はたあれ たれでしょね
とんとん峠の 坂道を
ひとりでてくてく 歩いてく
お寺の小僧さんじゃ ないでしょか

あの子はたあれ たれでしょね
お窓にうつった 影法師
お外はいつか 日がくれて
お空にお月さんの 笑い顔

作詞:細川雄太郎・作曲:海沼実

「あの子はたあれ」は1939年(昭和14年)に作られ、1941年(昭和16年)に発売された童謡であり、軽快な調子の曲で、耳に残りやすい曲だった。

元の詩は、加藤省吾編集・発行の同人誌『童謡と唱歌』第5巻第2号(1939年2月20日発行)に発表された『泣く子はだあれ』だったが、「泣く子」と「だあれ」が変更されたものである。

細川雄太郎が24歳の頃、故郷での幼く楽しかった頃を思い出して「泣く子はだあれ」として詩作されたという。その経緯から、リズミカルではあるが、どことなく郷愁を呼び覚ますような叙情を漂わせている。

この歌を聴いたのは、九州の子供時代である。発売からしばらくして耳に届き、子供の心に強く残った。当時、家の近所に数軒が、農道を間において点在していた。比較的近い家同士の子供達はよくつるんで遊んでいた。女の子が3人で、男の子が2人だった。

ある日、女の子達のママゴトに付き合わされた。その子の家のラジオだったのだろう。「あの子はたあれ」が聞こえてきた。呼ばれてゴザのような敷物に、隣の男の子と歩いて行くとき、女の子の後ろをついて行っていた。流れる「あの子はたあれ」と重なり、女の子の背中が妙に印象に残っている。初めて女の子を意識した日のようだった。

女の子の名前は覚えていないが、振り返って、この歌に出てくる女の子は「美代ちゃん」と気づいた。妻の名付けの元になった名前が、妻の叔母の名前「美智代」だったと法事の時に聞かされた。

ーーおわり 父の背中