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五行詩:黄昏の青める空に 真白なるくぐいの鳥啼く なにとて啼くぞ さぁ、なんと啼くか?
ごくうの散歩は黄昏時。夕方の空は赤いとばかりに思うが、確かに、「ブルーアワー」が朝ばかりではなく、夕方にもある。そんな「青める空」を見たことがある。鉄幹も、そんな「青める空」を見て、青春を思い出したか。あるいは、
たそがれの青める空に
真白なる鵠の鳥啼く。
なにとて啼くぞ。
若き日は帰らずと、
あわれ、わがために啼く。
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「鵠」(くぐい)は白鳥を指すという。詩や文学の世界で象徴的に使われてきた、よいう。確かに、白鳥は「美しさと優雅さ」から、「純粋さや無垢や儚さ」を象徴するといえるだろう。
一方、青春もまた、純粋で輝かしい時期で考えられ、その期間は短く、一瞬である。また、過ぎてしまうと、二度と戻らない儚い時期である。
詩は「白鳥の美しさと青春の輝きが重なり合い、過ぎ去った日々への郷愁や切なさ」を表現しているのか。
・出典
・題・「鵠」
・与謝野寛「小曲」『槲之葉』博文館、明治43年(1910年)、153頁より。
*槲は「かしわ」
・国会図書館デジタルコレクションがある。コマ番号=82。
・近代日本人の肖像(国会図書館)※与謝野寛・鉄幹