あたためる。- 私の居場所問題 "冷静と情熱のあいだ Rosso"
”人の居場所なんてね、誰かの胸の中にしかないのよ”
「冷静と情熱のあいだ Rosso」江國香織 より抜粋
所謂「自分探し」に没頭していた大学時代は、今いる”居場所”よりも、もっと別の”場所”に自分がしっくりくる居場所があるものだと漠然と思っていた。
なんとなく大学にも馴染むことが出来ず、海外であれば自分の”居場所”があるかもしれないと、バックパックを背負って旅に出かけた。
居場所を変えれば、やりがいが見つかると、頑なに信じて
降り立った異国の土地で、日本とは違う街角に、行き交う人たちに、初めて食べる異国の味に、いちいち感動してはいたものの、どこへ行っても、何をしても、パズルのピースのように、ぴったり、すっぽりと私が埋まることができるような、そんな居場所は見つからなかった。
どこにいても、一人でいれば孤独を感じ、
居場所を変えても、感じる主体は私であって、場所は問題ではないのだ。
そんな当たり前のことを、自分の中に落とし込めたのはごく最近の事である。
誰かと言葉を交わし、
誰かと時間を共有し、
誰かに想いを馳せ、
誰かに触れ、
私は私を確認する。
ひどく泣きたい夜も、お腹が痛くなるほど笑える日も、心を揺れ動かす体験は、いつも誰かによってもたらされる。
誰かの優しさを受け入れる準備ができたならば、そこに私の居場所はきっと見つかる。