なんて銘打って罵詈雑言 日本終わったと書き続けても 海外脱出など出来ない層なんだろうな って密かに思う。 毒を吐けば吐くほど どうにもならないフラストレーション が溜まっていくのだと思ってる。 問題解決能力が高ければ 毒など吐く必要もなく 自浄出来るはず。 結局は他人を攻撃して自尊心、虚栄心 に絆創膏を貼るだけなのだ。 さむいね。 それでは、また。
世界線は分岐の連続線だと思っている 朝ごはんを食べる 朝ごはんを食べない これで通る線は変わる 世界線はいろいろ思うのだけど 今回は異世界転生について 漫画や物語なので いくらでも物語はあるのだが 主人公はだいたい死んで 異世界にその意志をもって飛び 物語が進む そして前の世界より華々しく変わり 成功する物語 そんなご都合かよ って流石に思う 通ってきた世界線には意味があり 選ぶ分岐によって生じる未来の世界線も また不確定でおもしろい 視聴者、読者が予想もできない
コミティア150に行った まだ1年未満の初心者だよ。 来て、毎回思うことは 「エネルギーがすごい」 世にこれを「発表したいっ」 ってチカラがみなぎっているのだ。 参加申し込みをしたときから そのエネルギーは満ちているのだから 間違いない 行くたびに そのエネルギーを浴びて 「おいらも何か」 って思うけれど なかなか具体的に行動できないでいる 自信がないのもあるが 努力も想いも足りない 結果を求められると 尻込みする弱虫なのだ 創作者はみんな それを越えようと 努力
今までの事を無かったかのようにする 人がいる 断捨離などといって、集めたものや すきだったものを捨てて 次に行くというのだ。 本人の決断したことだからそれもしかたない けれど そんなことぐらいで 変わってしまう「自分」なのだろうか。 そうだったのだろうか。 オイラは変わることがすごく怖い 過去を捨ててしまうことは 今までの自分を全否定してしまうような 気がしてしまい 過去があり今があり未来がある ちょっとは変わるのかもしれないが 思いっきり色を塗り替えてしまう ような
超高速回線によって物理的に繋がった 現代。情報の入手は過去とはちがい ありえないほど便利になった。 簡単に手に入る情報。 だが、その中にウソが増えた。 情報を受け取る側のリテラシー が追いついていないように思う。 発信する方はいつだって上手だ。 いつまでも俯瞰して状況をみて 情報と上手く戯れられる 自分で居たい。 それでは、また。
今日は倦怠感が強く夕方まで 寝ていた いろいろやりたかったが ほぼ何もしなかった これも自分だ。仕方がない。 ぼちぼち夕方になり ちょっと外に出る 行きつけのドフで格安のテレビを見つける 持ち帰り 部屋で清掃とリプレイス 楽しかった そんな事をした 一日だった それでは、また。
の表示がおかしい気がする システムメンテナンス? 不具合? くだらないことが気になる 午前五時 それでは、また。
5感がありますが 生きていると色々な感情が芽生えますね。 インパクトはやはり怒りの感情でしょうか。 今より若い頃はなんだかいつも怒っていた 気がします。 それは誰かより自分が優れている、優位である思いから来ていた気がします。 お前より俺のほうがスゲェ 争いごとはきっとこんな感情が ぶつかって起きる、かと。 最近は火花を散らす、爆発しそうな 感情はあまり出なくなった気がします。 怒りは緊急避難。 あくまでも緊急。 とても一時的なものなんです。 ずっと怒るにはそれなりのエネ
人気者になりたかった でもそんなものにはなれないってことを 目の前の現実が教えてくれた 小学生で突きつけられた現実 人気者にはスキルも根性も努力も 才能も必要なんだ・・・・ 何一つない者が なれるわけがないんだよ ずっと心に残る みんなはどうですか それでは、また。
世の中才能に溢れている ネットが台頭していろいろ見渡せるようになって思うよ こどものころ漫画がすきで マンガ・アニメクラブに入った その中に1人明らかに絵が上手く話も 作れるやつがいた。今思っても 小学生レベルではない。彼は漫画家になったろうか。 昭和の頃は単品の能力で事を成す人も いたと思う。上の彼のように突出した 能力で上を目指す。 昭和、平成、そして令和。 いつだって時代は変わっていく。 一つの能力だけで大成するには難しい 時代になったと感じる。 サラリーマンです
SNS始めて10数年経つかな 誕生日を公開すると 身近な人からそうでない人まで 「おめでとう」 をくれる。 最初のうちは嬉しかったが そのうち殆どが反射だなぁ と思うようになった。 寂しがり屋のくせに ちょっとひねくれ者は 設定を止めた。 誰もメッセージをくれなくなった 親しくない人の 誕生日なんか 覚えているわけがない。 そういうものだ。 今日は晴れの特異日の一つ。 日本国憲法が公布された日。 ほぼ2桁年しか体験できない カウント いろいろ考えよう。 それでは、ま
大谷選手のマンダラチャートってのが 凄いと評されてる 物凄い努力と結果を見せられて おおっと思う人が殆ど でもさ そんなん もう遅い って人が殆どだと思うんだよね 猛烈な成功の結果だけ見せられても もうそれにどうやってもならない 虚無感 いつだって変われる とか 目を心を キラキラさせることが 少しでもできるなら したほうがいいのかもしれないが 徒労に終わる そんなものにはなれないってことを 思い知るのかもしれない おおう 真っ暗だな そうだな それでは、また
11月らしいです 人間はほぼ2桁しかその季節を体験しない それしか無い回数なんだけど いろいろ有る月だよな と思いにふける ぼくは書くことがなくて困っている それでは、また。
VR ARは仮想現実や拡張現実と訳される 実際の世界と同じようなものをコンピュータ の中に創り出すのだ。 コンピュータ性能向上によってそれはかなり 近づいてきた。 1994年、まだwin95が出る前から コンピュータではマルチメディアが謳われた 性能は拙くメディアというにはほど遠い性能だった。 あれから30年。 目覚ましく進歩した世界には映るものが 現実と見まごうばかりの世界が出来上がった。夢の世界だ。 だが、SFの様に夢の世界に現実を置いて移動は出来ない。理想の世界は向こう
今夜は激寒ですよ奥さん 萎えます 嗚呼 それでは、また。(パタッ)
変化しないのは周りで 自分の価値を受け入れない 見出さないのはおかしいと それって自分に需要が無いだけだと 思うし 必要とされるなら需要は切れないと 思うんだけど どうなんだろう それでは、また。