
はじめての子育てがくれた私の変化
私はこの子を授かる直前まで、もっと詳細に書けば、産休に入る直前までものすごい働いていた。
周囲からは仕事が好きなやつだと思われていたし、就職してからの人生のほとんどの時間を仕事に費やしていた。
辛いと感じることもあったけど、目の前の仕事に精一杯取り組めば取り組むほど、止むことなく次から次へと、担当の案件が増えていき、責任の範囲も拡大して、部下もどんどん増えた。
昇進したり昇給したり頼られる部下が増えたりという状況が心地よく、それ自体が働くモチベーションに繋がる性質だったのかと問われると、決してそうではないなと思う。生活にどんどん余裕が出るので、昇給は嬉しいが、それ以外については特に欲しいと望んだことがなかった。
だけど、そうやって過ごしていた分、仕事以外に私の世界はほとんどなかったので、周囲からの印象通り、自分自身も私は仕事が好きなのだと思っていた。
仕事にほとんどのエネルギーを使っていたので、家事は極力しなかった。食事は外食かデリバリーが常だったし、洗濯は干してあるものを組み合わせを変えて順番に着ていた。私は家事が嫌いで、中でも料理は特に嫌いだと思っていた。
思考のほとんどは常に仕事のことで稼働中で、駅から家までの道のりもずっと仕事のことを考えていた。歩きながら思考すると、デスクにいるよりも大抵いいアイディアが浮かんだし、お風呂でシャワーを浴びてるときに難題と思っていた課題の解決策が浮かぶことも多かった。頭の中に常に言葉が蠢く状態で、"1人"を感じる瞬間がなかったと思う。一人で外食することも一人で過ごすことも全く気にならなかった。
どこまでも、いつまでも仕事のことを思考し続けていたのには理由があって、仕事においては常に最低最悪のシナリオを描くところからスタートするのがくせだったからだ。最低最悪のシナリオを描いて、1つ1つそれに対する対策や予防策を巡らせていく。そして、予防策や対策をとった後に起こりうることを1つ1つ描き、またその1つ1つに対策を考える・・そんなことをしていると、思考が止まることはなかなかないのだ。どこまでもネガティブに思考して、準備する、の繰り返しの日々を過ごしていた。
私は、ネガティブで料理が嫌いで1人が好き。
この子を授かって出産するまで、私は自分のことをそう思っていた。
出産して1年半が経った。
妊娠中は悪阻で点滴をするくらい体調が悪化したし、そんな状況にもかかわらず、まだ妊娠をオープンにしていない時には、吐き気と戦いながら深夜まで残業をしたこともあった。
出産は27時間かかって、産まれる直前には羊水混濁になりながら、産まれてくる命の生命力に支えられながら無事出産した。
3ヶ月検診で気になる点を指摘されたことがあり、その後経過観察で大学病院に通ったりもした。
細かいことを書こうと思えば、初めての出産と育児の日々には、もっともっといろいろなことがあった。その度に、どう乗り越えようかと不安に感じることももちろんあったが、私は1度もネガティブには思考しなかった。それが意外だった。
どんな時でも、「大丈夫」と思えていた。特に何のシナリオも描かずに。
未来は明るい、安心安全だと祈るような気持ちだったとは言え、それでも「大丈夫」と、そう思えていた。
生まれてから1年間の中で、新生児は乳児となり、幼児になる。
その期間の中で、ミルクで生きていた赤ちゃんが、離乳食を経て大人と同じ食事に近づいていく。料理が嫌いな私にとって最大の難所と想定していたのだが、結局、離乳食は楽しかった。大好きなこの子と、一緒に食べることができるようになっていくのは、思っていた以上に楽しかった。作るのが生活習慣の中に組み込まれていたわけではないので、面倒だと思う日もあるし、疲れたときはベビフード三昧の日もある。それでも、「料理が嫌い」とあれだけ強く思っていた気持ちは、今はどこか遠くにあるように感じている。
新生児から乳児になると、一緒に外を散歩することもできるようになる。
いつも1人で仕事のことを考えながら黙々と歩いていた道も、キラキラした赤ちゃんを抱いて歩くと、その道にはたくさんの花が咲いていたり、綺麗なおうちがたくさん立ち並ぶ素敵な街だったことに気がついた。そして、その気づきは何故か私を弱くしたと思う。それまで私をガチガチに固めていた鎧のようなものが、すっかり取り去られてしまったような気がするのだ。その道を1人で歩く用事があると、心細くてとてもつまらないと感じるようになったし、そのうちに、1人で行くなら行かなくていいや、と。
道を1人で歩くのに、寂しいなと感じる日々が来るとは、過去の私は微塵も思わなかった。
でも、きっと、今の私が、偽りのない私なんだろうなと思っている。私は本来きっとこんな感じだ。出てきたことのなかった自分こんにちは、の気分。
これが、頑張らずに、力の抜けた私。
こんな私が世界に顔を出せる日が来るなんて思わなかったからこそ、なんだかこの出会いが嬉しい。弱くなった自分、大歓迎だ。
こんな私に出会うことがあるとは思わなかったから、明らかにそのきっかけである私の元に生まれてくれたこの子には、本当に感謝しかない。本当に。
これから先、この子の成長に伴って、きっと私も変化する。
けどまずは、私を身軽にしてくれてありがとう。
心細いという感情を知った私のそばに、いつも一緒にいてくれて、ありがとう。