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ポーランド・クラクフへの週末旅行 #6

どうも,つつっちです.

最近,テスト勉強に追われて楽しくない日々を過ごしていました.
それに加え,オランダは毎日寒く,曇りと雨の日が続いています.
でも,11月末にルーマニアに週末旅行する予定なので楽しみです!!🇷🇴

さてさて,今回は,少し前に行ってきたポーランドのクラクフの週末旅行についてお話しします.🇵🇱
今回の記事かなり長い(原稿用紙15枚分程度)ので,ゆっくりお時間があるときに読んでもらえたら嬉しいです!



大まかな行程表

木曜日:移動
・大学での講義終了後,Delft ⇨(電車)⇨ Eindhovenの空港
・夜 Eindhoven ⇨✈️(飛行機)⇨ 深夜 Krakow到着
金曜日:アウシュビッツ旧市街
・早朝 Krakow ⇨(電車)⇨ 8時半 アウシュビッツ強制収容所
・正午 アウシュビッツ強制収容所 ⇨(電車)⇨ Krakow
・昼食で餃子,旧市街を街歩き,宿に戻ってシエスタ(昼寝)
・夕食でボルシチ,ソーセージ,ワイン
土曜日:ユダヤ人街カジミエーシュ地区
・朝食は地元のパン屋でパンオショコラ,エスプレッソ
・シンドラー博物館(旧シンドラーのホーロー工場)訪問
・昼食でジュレック(Żurek)
・ユダヤ人街のカジミエーシュ地区を散策
・夕食でボルシチ,餃子,ワイン
日曜日:移動
・早朝 Krakowの空港 ⇨✈️(飛行機)⇨ 昼前 Brussels
・昼間 Brussels ⇨(バス,電車)⇨夕方 Delft

※ 航空券は往復¥13,000のRyan Air,宿泊費は3泊¥7500の激安ドミトリー.

なんでポーランド?何があるの?

みなさん,「ポーランド」と聞いて,どんなイメージが浮かびますか?
レヴァンドフスキ?(サッカー好きならまずこれやな)
コペルニクス?(地動説を唱えた天才で、漫画『チ.-地球の運動について-』に出てくる「P王国」も実はポーランドのこと)
紅白の旗🇵🇱?(日本と同じですね)
ショパン?(言わずと知れた天才ピアニスト)

Q. 1個の電球を取り替えるのに何人のポーランド人が必要か?

古典的なジョークです.回答を知りたい人はぜひ調べてみてください.
コペルニクス的転回のヒントがあるかも?なんちゃって(笑)

そんな感じで,ポーランドについて具体的なイメージを持っている人もいれば,「ポーランドって何があるの?」という人もいるでしょう.僕も今回行くまでは,そうでしたね.
でも,訪れてみたら好きになりました!
今回の旅のメインの目的は,ずっと行きたかったアウシュビッツを訪れること.これがきっかけで,ポーランドのクラクフを旅行先に選んだんです!

ポーランドの基本情報と簡単な歴史

中央ヨーロッパに位置しており,7カ国と国境を接しています.

正式名称:ポーランド共和国 (Rzeczpospolita Polska)
首都:ワルシャワ (Warsaw)
人口:約3800万人
言語:ポーランド語
通貨:ズウォティ (Polish Złoty, PLN)

Wikipediaより

ポーランドの歴史を超ざっくりとまとめてみます.(高校は地理選択だったので,世界史の知識は浅いです.)
10~17世紀頃までは,キリスト教の王国として栄えていました.しかし,18世紀に入ると一転し,ロシア,プロイセン(昔のドイツ北部の亡き国家),オーストリアからの侵攻を受けて,解体されました.
その後,第一次大戦後に独立を取り戻しました.しかし,それもわずか20年ほどしかもたず,第二次大戦に入り,ナチス・ドイツに1ヶ月ほどで制圧され,甚大な被害を被りました.第二次大戦後は,ソビエト連邦の影響下に入り、ポーランド人民共和国として社会主義体制が確立されました.ですが,ソ連の崩壊とともに1989年に現在のポーランド共和国へと発展しました.(激動な歴史を持つ国ですね)
今では,NATOやEUにも加盟し,著しい経済発展を遂げています.

というわけで,アウシュビッツの体験とユダヤ人街について紹介します!


アウシュビッツ強制収容所訪問

クラクフから電車で約1時間半,アウシュビッツ強制収容所があるのはOświęcim(オシフィエンチム)という街です.ちなみに「アウシュヴィッツ (Auschwitz)」という名前は,ナチス・ドイツがこの街を支配していたときに付けたドイツ語の呼び方.ポーランド語の発音が難しかったため,より発音しやすいように変えたそうです.

優生思想が生んだ悲劇

アウシュヴィッツ収容所は,ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に設立した強制収容所および絶滅収容所で,ナチスによるホロコースト政策の主要な拠点の一つです.ホロコーストとは,ナチスがユダヤ人,ロマ(ジプシー),同性愛者,障害者などを「劣等人種」として排除・抹殺しようとした政策のことです.この信じ難い政策は,優生思想という当時広まっていた考え方に根ざしています.
優生思想(Eugenics)は19世紀末から20世紀初頭に広まった学説で,「遺伝的に人類の質を向上させる」ことを目指しました.これに基づき,ナチスは「アーリア人」を最も優れた人種と定義し,(アーリア人を定義するために狂った指標もありました)身体的・精神的に障害のある人々を「生命に値しない」として強制的に安楽死させました.つまりは,優生思想の名のもとに「不都合な遺伝的特性」を持つ人々を排除しようとしたのです.(アニメ『進撃の巨人』でも,似たようなテーマが描かれていますので,興味がある方はぜひご覧ください.)
そして,ユダヤ人に対しては,「ユダヤ人問題の最終的解決(Endlösung der Judenfrage)」という計画を公式に始動.ヨーロッパ中からユダヤ人を絶滅収容所に送り,効率的に大量虐殺を行いました.
ちなみに,現在のイスラエルという国は,第二次世界大戦後にユダヤ人たちが建国したものです.その背景には,欧米諸国(特に米と英)の支援を経てユダヤ人による国を建国しました.
しかし,当時その土地に住んでいたのはパレスチナの人々でした.ユダヤ人国家の建国に伴い,多くのパレスチナ人が土地を追われることになり,これが長年続く中東問題の引き金となりました.その後,何度も勃発した中東戦争は,今も解決されていない複雑な紛争の一因です.

NHKのウェブサイトから引用

ここまで読んで,「もう知ってるわ」という方も多いかもしれませんね😅.ただ,この歴史の流れは実際にはもっと複雑で,僕の説明は非常に簡略化したものです.でも,このような背景が,現在のパレスチナ問題などにも深く繋がっていることは確かです.

ガイドの中谷さん

さて,アウシュヴィッツを訪問するにあたり,同ミュージアム唯一の日本人公式ガイドであり翻訳家でもある中谷剛さんに案内していただきました.事前にメールでやり取りを行い当日は3時間のガイドツアーに参加しました.
中谷さんは,感情に流されず,事実を丁寧に説明しつつ,現在の社会問題や国際問題とも関連付けて問題提起を行うスタイルで,本当に考えさせられるツアーとなりました.私自身が抱いていた疑問にも,丁寧に答えていただきました.

アウシュビッツ強制収容所の構成

アウシュビッツは,大きく3つの施設で構成されています.

1.アウシュヴィッツ I
1940年に設立された最初の施設で,当初はポーランド人の政治犯を収容するための場所でした.ここでは,ナチスによる虐待や人体実験が行われました.入り口には有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の標語が掲げられていました.

アウシュビッツⅠ
Yahooから引用です.(僕も写真撮りましたが,写り悪かったので)
『ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)』
もちろん全くの嘘で,実際は「絶滅するまで働く」のであった

2.アウシュビッツII(ビルケナウ)
1942年に建設され,絶滅収容所として機能しました.到着後,囚人たちは「選別」にかけられ,ほとんどの人がガス室で即座に殺害されました.数百万もの命がここで奪われました.

アウシュビッツⅡ
囚人が各地から送られ,到着後すぐに「選別」が行われた

3.アウシュヴィッツ III(モノヴィッツ)
工場労働を目的とした労働収容所です.収容者は過酷な労働を強いられ,栄養失調や過労で多くの人が命を落としました.当時のBMWなど多くのドイツ企業がこの強制労働に加担していました.

収容所内での人々の役割

収容所では,大きく分けて,以下の3種類の人々がいました.

・SS親衛隊
看守として収容所を管理し,囚人たちを監視しました.ナチスのイデオロギーに忠実で,囚人たちを「劣等人種」として扱いました.
・カポ(看守囚人)
囚人の中から選ばれた監督役で,収容所内での労働監督などを行いました.囚人の生活全般(食事,寝床等)を管理できたために,私服を肥やし,囚人たちの中では「裏切り者」と見なされることも多かった.
・囚人
アウシュヴィッツには約130万人が送られ,そのうち約110万人が死亡しました.死因の多くはガス室での即時処刑,過酷な労働,飢餓,病気,暴力などでした.

アウシュヴィッツの遺物と証拠

殺害前に取り上げられた身体障害者の義足や松葉杖などが回収された
収容所への収監やガス室での殺害と同時に全ての所持品は回収された
囚人たちが自分の所持品が釈放と同時に帰ってくると信じて記入していた所持品

囚人たちはアウシュヴィッツに到着すると,すぐに服や所持品をすべて取り上げられました.それらは「カナダ」と呼ばれる収容所内の倉庫に送られました.(当時,「カナダ」というのは「豊かさの象徴」とされていた)
取り上げられた貴重品や金銭は,ナチスの資金調達に使われました.金や宝石,時計などはドイツ本土へ送られ,軍需品の購入などに充てられました.囚人たちは,すべての持ち物だけでなく,自分の名前や身元を証明するものさえも奪われ,番号だけで識別されるようになりました.これは,個人の記録とアイデンティティを完全に消し去るための措置でした.ただの数字として扱われることで,囚人たちは人間としての尊厳をも失ったのです.

証拠隠滅のために爆破されたガス室

ナチスは,ガス室の存在を隠すために多くの偽装を施しました.例えば,「シャワー室」として偽装されており,天井にはシャワーヘッドが設置されていました.しかし,そこからは水ではなく,毒ガスが投入されました.囚人たちはシャワーを浴びると信じて中に入れられ,そのまま命を奪われました.
現在,ビルケナウにある大規模なガス室や火葬場は,そのほとんどが破壊されています.ナチスは国際裁判での判決を少しでも有利に働かせるために,殺戮の証拠隠滅を図って,関係書類の焼却や建物の爆破という手段を取ったのです.しかし,ガス室は頑丈な作りをしていたために,完全に破壊することができませんでした.さらに,連合軍の進軍が迫っていたために,時間に追われていました.


ユダヤ人街・ゲットー散策

ここまで、アウシュヴィッツについてかなりの文量になってしまいました.長文にお付き合いいただき,ありがとうございます!
さて,次はクラクフ市内にあるユダヤ人街やゲットーを散策した様子をシェアしたいと思います.
ヨーロッパ各地にはユダヤ人街が点在しています.これは,ユダヤ人が長い歴史の中でヨーロッパ中に散らばって暮らしてきたためです.しかし,ナチスが台頭すると,ユダヤ人は隔離され,「ゲットー」と呼ばれる強制的な居住区に押し込められることになりました.

ユダヤ人街「カジミエシュ地区」 ゲットー「ポドグジェ地区」

クラクフのユダヤ人街である「カジミエシュ地区」は,クラクフ中心部から少し南に位置しています.かつてこの地区は,豊かなユダヤ文化の中心地でした.
しかし,第二次世界大戦中,ナチスは川を挟んだ南側の「ポドグジェ地区」にゲットーを設置し,ユダヤ人たちは強制的にここへ隔離されました.

旧オスカー・シンドラーのエナメル工場

映画「シンドラーのリスト」で有名になったオスカー・シンドラーのエナメル工場を訪問しました.
シンドラーは,ナチス占領下でユダヤ人労働者を安価な労働力として利用する実業家でした.しかし,次第に彼の考えは変わり,利益ではなく人命を守ることに尽力するようになります.彼は,強制収容所送りを避けるために,1,200人以上のユダヤ人を工場に雇い入れ,「シンドラーのリスト」と呼ばれる名簿を作成しました.このリストは,数多くのユダヤ人の命を救った象徴です.
映画は感動的で,歴史に残る実話ですので,皆様にもぜひお勧めしたいです.

シナゴーク(ユダヤ教の会堂)

ユダヤ教の信仰の場であるジナゴーグを訪れました.神聖的な場所で,建物内部にはダビデの星やヘブライ語の装飾が溢れています.


グルメ

さて,最後にグルメの紹介です.
ポーランド料理は,日本人の味覚にすごく合うんです!オランダに比べてレストランがリーズナブル(1食あたりグラスワイン含めて1500円ぐらい)なので,滞在中は毎日外食していました.
僕はグルメレポートが圧倒的に下手なので,皆様写真をお楽しみください!

ボルシチのスープの酸味がもうクセになる.美味すぎる.
ピエロギ(ポーランドの餃子)はもちもち.
でも,日本の餃子の方が好みかな.餃子の王将が恋しいぜ.
ジュレック(発酵ライ麦の酸っぱいスープ),身体に優しすぎる
ソーセージ.カリカリでマスタードが辛かった.

まとめ

いやー,今回の記事はだいぶ長くなってしまいました.
その割には,自分自身の感じたことや考えをあまり盛り込めなかったな・・・と少し反省しています.
それでも,ここまで読んでくださった皆さん,本当にありがとうございます.

今回は,ポーランド・クラクフでの週末旅行の様子をシェアしました.実は,アウシュビッツの訪問の後,かつてこの地で収容されていた精神科医・心理学者のヴィクトール・フランクルの名著『夜と霧(英題:Man’s Search For Meaning)』を読んだので,その紹介もしたかったのです.この本では,彼が収容所での体験を通して「生きる意味」について深く考察しています.NHKの「こころの時代」で彼の特集が組まれているので,興味があればぜひ見てみてください!
さらに,もう一人のユダヤ人哲学者,ハンナ・アーレントについても語りたかったです.(僕の所属研究室の教授にとってのアイドルです)彼女を描いた映画『ハンナ・アーレント』(2012年)は,ナチスの戦争犯罪について深く掘り下げた圧巻の作品です.僕の大好きなシーンだけ引用させていただきます.

”思考の嵐”がもたらすのは,知識ではありません.
善悪を区別する能力であり,美醜を見分ける力です.
考えることで人間が強くなることです.

次回の記事(#7)では,ちょうど大学の1Q(クォーター)が終わったタイミングなので,オランダでの留学生活の様子について久々にシェアしたいと思います!
どうぞお楽しみに!!


今日の格言

ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

『夜と霧』より引用


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