#40 「差別はいけません」では、差別はなくならない

 コロナ「差別」が広がり続けている。

 それは、「差別」の感情を抱く個人が悪いのではもちろんない。「差別」をしたくてしている人はほぼいない。

 ではなぜ日本で「差別」が広まり続けているのか。いくつかの要因を考えてみる。


① コロナを過剰なまでに特別視し続けていること

 感冒から重症肺炎まで症状に幅があるウイルスは他にも多くあるはずなのだが、コロナだけが特別扱いされている。発熱があればコロナではないか?と心配をする方はかなり多い。コロナは、さもめちゃくちゃ怖い病気のように報道され続けているのだ。この「特別扱い」が厄介だ。特別扱いは、無意識のうちに排除の方向に作用しうる。

② 意外に少ないコロナPCR陽性者

 国内の累計PCR陽性者:約60万人。総人口1億2000万人で割ると、0.5%となる。つまりは、200人に1人だ。これに比較して、インフルエンザは、毎年1000万人がかかるので、10人に1人だ。
 つまり、世間で騒がれている割には、周りに「コロナに罹った」という人があまりいないというのが実感ではないだろうか。これが、コロナ陽性は特別感が増すことにつながる。

③ コロナ感染はコントロールできるという幻想

 「感染予防対策を徹底すれば・・」「緊急事態宣言をすれば・・」「人々が自粛すれば・・」人間の行動如何で感染は抑え込めるはずだという意識を、刷り込まれすぎてしまった。人類はウイルスとの戦いにほぼ負けてきた。しかし、ウイルスとの戦いに負けない!と叫ぶことが美徳のようになってしまっている。人間は本来ウイルスと共存してきたわけだし、ウィズウイルスを認めないといけない。感染対策でなんとかコントロールできると考えてしまうと、「感染したのは対策が不十分だったからだ」と個人を責める方向にいくことになる。

 そもそも病気を発症するかどうかは、感染対策だけではない。免疫機構が大事で、その大事な論点が大きく抜け落ちているのも危惧される。ほどよく感染対策を行いながら、自由な生活をすることが人間的だと自分は考えている。

 以上、大きく3つ挙げてみたが、他にもたくさんの要因が絡み合っているはずである。ぜひ、「差別をするな」と声高に叫ぶのではなく、もう少し深いところを探ってみてほしい。「誹謗中傷をしてはいけません」そんなことはみんなわかっている。無意識のうちに多くの差別が広がるのである。このコロナ「災害(人災)」の構図を多くの方に考えてみていただきたいと考えている。