#28 コロナがこうも「特別扱い」される理由
新型コロナはすでに「新型」ではなく、「旧型」と呼んでもよいのかもしれない。既知のウイルスとなり、5番目の風邪コロナウイルスとなった。
しかし、感染症専門家は、まだコロナの「特別扱い」を続ける。
上記の図は、1/15の厚労省感染症部会の議事資料である。
インフルエンザとの比較は一般の方にとってもわかりやすいので、自分も多用してきた。感染症専門家の方々もインフルエンザとの比較をついに出してきた。しかしだ。ぜひよく見ていただきたい。これが、感染症の専門家の先生方の頭の中のイメージである。
つまり、「新型コロナは、季節性インフルエンザとは決して同等には扱えない」と考えているのである。だって、データ上は、致死率が大きく異なると考えているのだから。
国立感染症研究所のまとめであるが、そもそもコロナの致死率はかなり不正確だ。
なぜなら
① 分子:他疾患で無くなってもコロナのPCR陽性であったら、死因が「コロナ」になってしまっている。例えば、癌の末期で亡くなった方も、最後にコロナが陽性だったら、コロナ死である。突然死をした方も、念のためPCRをしたら陽性になれば、コロナ死である。コロナ死は明らかに大きく見積もられている。死因をそのように操作することは大変な暴挙だ。
② 分母:無症候で検査をしていないだけのコロナ感染者もいる。有症状でも検査をしていない方もいるだろう。本当の感染者は、現在PCR陽性とされた人数の数倍から10倍程度は少なくともいると考えられる。だから、分母が不確かな中のデータである。
しかし、もしもこのデータが(ある程度)正確であると考えたとしてもだ。致死率1-2%程度の疾患を、致死率50%以上のエボラ出血熱と同じ、もしくはそれ以上の扱いにする意義はどこにあるのか。
何も悪くない市民が、感染症にかかったがゆえに、無症候者が追跡される。交通制限される。しまいには、罰則まで科される。とんでもないと思わないか。
具体的な例を出してみよう。一般の高齢者の方が新型コロナに罹ったとして、医者から下記を伝えられる場合にどこまで差を感じるだろうか。
A-1. 「場合によっては、100人にお1人亡くなられる可能性があります」
A-2.「場合によっては、1000人にお1人亡くなられる可能性があります」
B-1. 「2~10人に1人は亡くなります」
B-2. 「100人にお1人亡くなられる可能性があります」
B-1.&2.には多くの方が違いを感じるだろう。では、A-1.&2.の違いはどうだろうか。もちろん、それは違うと考える方もいるだろう。それは考え方だからもちろん否定はしない。しかし、Bの違いとは大きく異なるのではないだろうか。ましてや、A-1.&2. の違いのために、日常生活を全て犠牲にしようとまで思うだろうか。おそらくそうなると、割に合わないと思う方が多いのではないだろうか。この差によって、いま国内は緊急事態宣言という大きな犠牲まで払っているのである。
(一部の)感染症専門家の頭の中は、上記の通りだ。おそらくこの考えは、しばらく変わらないだろう。
コロナ災害は、医療従事者が招いたと自分は考えてきた。だからこそ、医療者が回収しないといけないと思っていた。
しかし、それを望むのはどうも無理そうだ。自分も医療従事者の一人として、多くの医療専門家に良識があると考えていたが、そうはならなさうだ。非常に残念だ。
新型コロナだけをみていたら、この災害は解決しない。
新コロだけをみているメンバーでは解決策の糸口は見いだせない。
厚労省の部会では上記の通り、周囲がみえていない。もちろん分科会もしかりで、コロナを特別扱いし、国民につけを求めてばかりだ。
ここまでくると、医療専門家ではないところからの意見を期待するしかないのもかもしれない。具体的には、経済財政諮問会議なのかもしれない。成長戦略会議なのか・・・この辺りは大変申し訳ないが、自分もほとんど詳しくない。
いずれにしてもだ。
ここまで医療者や厚労省の動きを見てきて今思うことは、この災害はもう、医療者だけでは解決できなそうだということ。もっと経済界や、他の幅広い視点で全体を俯瞰できる人・メンバーの手によって、山が動くことを期待したいと今は考えている。