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◆小説◆ おばあちゃんの喫茶店1「おばあちゃんの計画通り」

「蓮池通り交番前」のバス停で降りて、その向かい側。
電柱の裏にそっと隠れるように「ホシゴイの森喫茶」の小さな看板がある。
目立たない古ぼけた木製の看板で、お店の名前と営業時間以外は何も書かれていない。
看板の脇には細い路地があり、そこを入って20mほど歩いた左側に入り口があった。

このは「ありがとうございました!」

お客さんの会釈を見て、このはは嬉しい気持ちでいっぱいになった。
小さなレジに受け取ったお金をしまい、お店から出ていくお客さんの背中を見ながら手を洗う。
すると店の奥から、おばあちゃんが小走りでやってきた。

おばあちゃん「本当にありがとうございます、入りにくい場所だったでしょうに」

少し痩せた初老の紳士は振り返ると、かぶりかけた帽子を軽く持ち上げておばあちゃんに挨拶した。

お客さん「いいえ、ずっと気になってたんですよ。バスで来る度に何か看板があるなと思っていて」

おばあちゃん「本当にわざわざありがとうございました。足元、段差があるのでお気をつけて下さい」

お客さんが帰ってからも、おばあちゃんはニコニコしていた。
小さな喫茶店には、4人がけのテーブルが2つ、2人がけのテーブルが2つ、それにカウンターにも席がある。
今は他にお客さんもおらず、このははお客さんの使ったコーヒーカップやおしぼりを片付け、カウンターの裏側のシンクで洗い物を始めた。

このは「本当にわかりにくいのに、よくお客さんがくるよね。あたしだったら入りにくいかも」

おばあちゃん「ふふ、計画通り……」

このは「えっ」

おばあちゃん「あえて情報をくわしく書かないことで、逆に気になるようにしてるのよ。
値段もわからない、怪しげな路地の奥の喫茶店に入るには勇気がいる。
路地を歩いている間のドキドキ感と、意外とホッとする店内のアットホームな雰囲気。
緊張と緩和というやつで、お客さんの気持ちをコントロールする演出なのよ」

このはは洗い物をしながら、呆れたような目でおばあちゃんを見た。

おばあちゃん「ドキドキ感でスペシャルな雰囲気をいや増しにするの。
それでいてうちは意外とお値段も高くないし、高い値段を覚悟して入った割には……みたいに帰り際のレジではお得感を感じさせる。
お得感とスペシャル感を両立させようって魂胆よ。
喫茶店っていうのは、場所と時間も商品なの。
特別な雰囲気の場所で、特別な時間を過ごす。
その特別な体験分のお値段が、コーヒーやお料理のお値段に含まれてるの」

このは「はえー、すっごい……。すごい考えてるんだね。ビックリだよ」

おばあちゃん「このくらい普通よ。商売やってんだから」

このは「そうかなぁ……」

食器洗いの石鹸の泡を洗い流す音。
カチャカチャとお皿の擦れる音をさせながら、このはは洗ったものを水切りのかごに入れていく。
それをおばあちゃんが取り、丁寧に水気を切って拭いていく。

このは「バス停が目の前っていうのもラッキーだったよね。目につきやすいと思うんだ。
バス待ってる間って他に見るものないし、なんか気になる……みたいな感じになってるのかも」

おばあちゃん「計画通り……」

このは「えっ」

おばあちゃん「ここは商店街の中とは言え、駅からもそんなに近くない。
しかもうちは路地の奥だから、入ってきてもらうこと自体が難しい。
うちのお店に入る路地を挟むように、コンビニとマッサージ屋さんがあるでしょう。
遠くからも見えるような大きな看板で、そのお店を目当てにくる人達もいる。
その派手な看板に挟まれて、こぢんまりと小さく目立たない看板がある。
しかも値段もメニューもわからない。
こういうのは気付かない人はずっと気付かないけど、一度気付いたらすごく気になってくるものよ。
何度も通りがかりながら、入ってみようかな……いやいや今日は、でもそのうち……みたいな迷う心理を抱かせる。
何度も迷った末、ようやく勇気を出して入るっていうところから、既にうちのお店の体験は始まってるってこと。
路地の奥に入るということは、意外と心のハードルが高いものでしょ。
そのハードルを越えさせるには、こういう工夫も必要なのよ」

このは「なるほどそっか……でも、ちょっとひくわ……」

おばあちゃん「駅から遠いっていうのはかなり厳しいハンデなのよね。
でもバス停だって、人通りの要のひとつなのよ。
このはが言うように、バス停で待ってる人の目にも止まるし……」

お皿を拭き終えたおばあちゃんは、急に口ごもって口を尖らせた。
このははきょとんとおばあちゃんを見やった。

おばあちゃん「おばあちゃん実はね、あんまり言わない方がいいなって思ってたんだけど……いや、やっぱりいいかな」

このは「なに? 気になる」

おばあちゃん「あんまりいいことじゃないからね」

このは「気になるじゃーん。言いかけてやめるのずるい」

おばあちゃん「うーん、しょうがないねぇ」

おばあちゃんは食器を棚にしまうと、カウンターの裏の椅子に腰を下ろした。
思わせぶりなため息をついて、遠くを見るように目線を上げた。

おばあちゃん「おばあちゃん、子どもの頃から喫茶店をやるのが夢でね。
それこそ、このはよりもずっと小さい頃から、小学校に入る前から憧れがあったの。
お母さんに……おばあちゃんのお母さんだから、このはのひいおばあちゃんね。
喫茶店に連れて行ってもらって、ピザとかケーキを食べて。
なんかこう、ちょっと大人になったみたいな、特別な雰囲気が大好きで。
それでいて、お母さんに行きたい行きたいっておねだりするような感じじゃなくて、たまーに前触れもなく連れてってもらう感じが、なんだか特別だったんだと思う。
あたしはその頃からこの辺に住んでいて、小学校に行く途中にこの路地も通りがかってた。
まだコンビニとかマッサージ屋さんもなくて、なんだったかしら、そうそう、お酒屋さんと本屋さんだった。
この路地の奥に入って行ったところで喫茶店をやりたい……密かにそんな野望があったわけよ」

このは「すごい、そんな前から……」

おばあちゃん「うちの前のバス停、『蓮池通り交番前』っていうでしょ?
不思議と思わない? 交番はもうちょっと駅寄りにあるでしょ。
反対車線にも同じ名前のバス停があって、そっちの方は確かに交番の前にある。
でもうちの前のバス停は、交番から15mくらい離れてズレている」

このは「え、まさか……」

おばあちゃん「バス停は人通りの要の一つ……。
この頃のバス停は大きなコンクリが重しになってるだけで、地面に固定されてなかったのよ。
あたしは毎朝、小学校に行く通学路で通りがかる度……バス停をちょっとずつ動かして……。
毎日数センチずつ、誰にも気づかれないように少しずつあの路地に近づけていった。
交番のお巡りさんも、いつもバス停を使ってる人たちも、気付いてたのかどうかわからないけど。
もしかしたら何か違和感は感じていたかもしれないわね。
でも、誰にも止められることなく、数年がかりで目的の路地の前までバス停を持ってくることができた。
しばらくするとお酒屋さんと本屋さんが、マッサージ屋さんとコンビニになった。
その頃、何かバス会社で方針が変わったんだろうね。
コンクリの重しがなくなり、路地の前のバス停はそのまま地面に固定されたの」

このははぽかんとした顔でおばあちゃんを見た。
呆れと驚きを通り越し、にわかには信じがたい。

このは「で、でもおばあちゃん、保母さんだったじゃん。
定年退職してから、この喫茶店はじめたわけでしょ。
そんな前から、そんな……嘘だよ、そんな壮大な、計画的犯行」

おばあちゃん「いつか喫茶店をやりたい、それがあたしの夢だった。
保育園の仕事だって嫌いじゃなかったけど、頑張ってお金貯めて、ようやく本当にやりたい事ができるようになった。
全て計画通り……」

このは「嘘だぁ! ぜったい嘘だって!」

おばあちゃん「ふふ、どうかしらね……。いらっしゃいませ」

このは「あっ、いらっしゃいませ!」

慌ててこのはは声をあげると、少し緊張気味に入ってきた若い夫婦をテーブル席に案内した。




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