◆小説◆ おばあちゃんの喫茶店16「納豆と自由」
このは「ちょっと待ったぁーーーー!」
はなび「えっ? ななな、なに?」
はなびは納豆をかき混ぜる手を止めた。
畳の部屋は、家族の食卓でもある。
今は大きめのちゃぶ台が広げられ、はなびとこのはが席についている。
不穏な気配を感じたのか、キッチンからおばあちゃんが顔を出した。
おばあちゃん「え、なに? ケンカ?」
このは「ケンカ? いいえ違います。これは聖戦です」
おばあちゃん「聖戦がろくでもあった試しはないんだよねぇ……。どうしたの?」
このは「はなび。あんた今、納豆にタレ入れた……?」
はなびは不安げな瞳を泳がせ、こくんと頷いた。
このは「何やってんのぉーーーー! 舐めてんのおまえーーーっ!」
はなび「ええっ、ちょ、なに、どうしたのこわい!」
このは「納豆は、混ぜたあとにタレをかけるんだよ!」
はなび「えっ」
このは「タレをかけた後に混ぜちゃいけないんだよ!」
はなび「えっ、なんで」
このは「なんでもヒョットコもあるかぁーーーーっ!」
はなび「やめてちょっと、納豆こぼれる! あぶない!」
おばあちゃん「ちょちょちょ、落ち着いて!」
このは「はぁー! はぁー!」
おばあちゃん「ね! 聖戦は、ろくでもない!」
はなび「ほんまや!」
このは「許せなぁーーーい! くそ適当な関西弁も許せなぁーーーい!」
悶えるこのはを、気の毒そうな目で見守る二人。
このは「はぁ……はぁ……」
おばあちゃん「落ち着いた? じゃあ話を聞かせて。はなびは納豆を置きなさい」
はなび「はい……」
ちゃぶ台の上に置かれた納豆。
つうっとはしに糸が引き、すっと細くなって切れて消える。
このは「おばあちゃんいわく……。人間の舌は飽きっぽい」
鋭い視線をはなびに向けるこのは。
このは「タレを入れた納豆を混ぜると……どうなる? タレが均等に混ざってしまう。
納豆はタレを入れた納豆の味に、均等に染まってしまう……」
はなび「え、いいじゃん。タレが馴染んでおいしいじゃん」
このは「このバカチンがぁーーーっ! 全て同じ味になる。この意味がわかって? ねえ、わかって?」
おばあちゃん「なるほどね……」
このは「そう! 同じ味は舌の飽きにつながる!
タレは混ぜない事によって、タレの濃い味、納豆本来の味にわかれてグラデーションができる。
それによって一口ごとに新鮮な味、口内で混ざり合うことによる味の変化が生まれる! 飽きにくくなる! 色んな味を楽しめる!
わかる? はなび、あんたはそれを捨てた! 納豆を侮辱したんだ!」
はなび「はぁーーーーーっ!? 納豆くらい好きに食わせろよ!」
このは「一番おいしく食べてあげなきゃ、納豆がかわいそうでしょ!!」
はなび「知るかよ! 好きに食うのが一番だろ!
細かいこと気にしてる方がストレスでマズくなっちゃうわ!」
このは「はぁー!? ちょっとは納豆の気持ちも考えたら!?」
はなび「納豆に気持ちなんかあるのかよ! おしゃべりしたことあんのかよ!」
このは「あるよ!」
はなび「あんのかよ!」
おばあちゃん「落ち着いて二人ともぉーー! はぁ、はぁ……。やっぱり聖戦ってろくでもない」
このは「あたしが正しい!」
はなび「オレは間違ってない!」
おばあちゃん「戦争ってそういうものよ。どっちも正しいと思ってるのよ」
このは「あ、なんかそれ知ってる」
はなび「ドラえもん……?」
おばあちゃん「はなびの言うことにも一理ある。
食事は自由で、好きに食べたい。
そうでなかったら味覚も鈍るし、楽しくなくなっちゃう。
なるべく無駄なストレスは避け、好きな食べ方をすることは大切です。
もちろん、最低限のマナーは守った上での話だけど」
このは「納豆の混ぜ方はっ……! 許せない! 最低限のマナー!」
おばあちゃん「違います。それはこのはの独りよがり。
はなびの納豆の混ぜ方は、マナーを逸脱するものではありません。
このはの価値観に沿わないから、このはが不快に感じるというもの。
つまり、このはの内面の問題ということになります」
はなび「へっ、ざまぁ」
このは「くっ……」
おばあちゃん「おばあちゃんもね、悲しくなることがあるの。
お店でカレーを出した時、福神漬をルーに入れ、ライスと一緒にかき混ぜる人……!
ライスとカレーと福神漬は、それぞれで味のギャップを出すことを想定してる。
混ぜてしまうと、このはの言う通り味が均等になってしまう。
一口ごとにライスとルーの比率が違う、舌に触れるタイミングが違う、そういうカレーを目指して作っているのに……!」
はなび「ああー、でもわかる。オレもカレーは混ぜちゃうタイプ」
このは「はなび、あんた!」
おばあちゃん「いいの! カレーを混ぜるも混ぜないも、それは食べる人の自由!
混ぜるなら混ぜるなりに理由があったりするし、食事を束縛することは、それだけでおいしさを損なってしまうから……!」
はなび「めんどくさいんだよね。いちいちルーとご飯をスプーンに乗せるの。
最初に混ぜちゃったら、あとは食べるだけじゃん? その方が楽で合理的」
おばあちゃん「あぁっ! うぐっ、うぐううううっ! 自由! それも自由!」
このは「おばあちゃん、しっかり!」
はなび「オレ、あんまりそこまで味にこだわりないのかなぁ……。
さっさと食べて、自由時間が欲しいっていうか。
最低限、栄養だけとれればいいじゃんっていうか」
このは「やめろぉーっ! それ以上おばあちゃんを苦しめるな!」
おばあちゃん「いいの、このは、いいの! 色んな人がいるの!
食事に対する価値観も人それぞれ!
味に対するこだわりはおばあちゃんの勝手だから!
だから、いいの……だから……!」
はなび「んー、うめぇ」
はなびは納豆を一息ですすると、自分の食器を持ってキッチンへ消える。
このはは崩れ落ちるおばあちゃんをひしと抱き締めた。
おばあちゃん「いいのよ、はなび。それで……いいの」
このは「おばあちゃーーーーん!!」
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